オーストリアの哲学者、社会学者。ウィーン大学で数学、物理学、経済学、哲学を、ベルリン大学で現代論理学を学び、実証主義の影響下に、経済学から形而上(けいじじょう)学的要素の排除を試みるようになる。1920年代、ウィーン学団が結成されるとその中心メンバーの一人として活躍し、物理学の用語で表せない命題を退ける物理学主義を唱え、カルナップとともに左派といわれた。しかし、真理の基準については、概念間の整合性を重んずる整合説をとった。社会主義に関心が深かった。学団の解散後、オランダを経てイギリスに亡命し、そこで客死した。著書に『統一科学と心理学』(1933)、死後編集された『経験主義と社会学』(1973)などがある。
[吉田夏彦]
1873~1956
男爵。ナチス・ドイツの外相。1908年から職業外交官として各地に勤務し,32年パーペン内閣の外相就任以来,特に33~38年にはヒトラーのもとで外相として再軍備政策を中心とする外交政策を展開した。その後は無任所相,秘密閣僚会議議長の閑職にあり,39年チェコスロヴァキアの併合と同時にベーメン(ボヘミア)とメーレン(モラヴィア)の総督となる。43年いっさいの公職を辞任した。ニュルンベルク国際軍事裁判では15年の懲役刑に処せられたが,54年に釈放された。
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オーストリアの経済学者。また,論理実証主義の哲学者として,ウィーン学団の創設にあずかった。はじめ,マルクス主義的経済学を唱えたが,やがて,社会科学全体を物理学と同一方法による時空的経験科学とする物理主義へとおもむき,〈統一科学〉という運動を推進した。科学哲学国際会議を創始し,統一科学協会をハーグ(現在はボストンにある)に設立し,科学哲学の普及に尽くした。
執筆者:坂本 百大
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