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国際軍事裁判 こくさいぐんじさいばん International Military Trial

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

国際軍事裁判
こくさいぐんじさいばん
International Military Trial

第2次世界大戦中のドイツの重大な戦争犯罪人を処罰するため,ニュルンベルクで行われた裁判。極東国際軍事裁判 (東京裁判) と対をなす。国家の行為について指導者個人の刑事責任を実際に問うた点で歴史的意義をもつ。

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デジタル大辞泉の解説

こくさい‐ぐんじさいばん【国際軍事裁判】

主要な戦争犯罪人を裁くための国際的な軍事裁判。特に、第二次大戦後に行われた極東国際軍事裁判ニュルンベルク裁判をいう。

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百科事典マイペディアの解説

国際軍事裁判【こくさいぐんじさいばん】

第2次世界大戦後,日独両国の戦争指導者を戦争犯罪人として審理した国際裁判。その構想は戦争初期から連合国によって主張され,日本については極東国際軍事裁判(東京裁判),ドイツについてはニュルンベルク裁判が行われた。
→関連項目事後立法

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大辞林 第三版の解説

こくさいぐんじさいばん【国際軍事裁判】

第二次大戦後、主要戦争犯罪人を裁くために、連合国によって設置された軍事裁判所による裁判。 → 極東国際軍事裁判ニュルンベルク裁判

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(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

国際軍事裁判
こくさいぐんじさいばん
International Military Tribunal

第二次世界大戦後、アメリカイギリス、ソ連、フランスの4連合国が、ドイツの戦争指導者の責任を訴追し、処罰するために行った裁判。法廷地がドイツのニュルンベルクであったため、ニュルンベルク裁判として知られている。第二次大戦中から連合国は戦後に戦争犯罪人を処罰するという意思統一を図っていた。すでに1942年1月13日、ロンドンセント・ジェームズ宮殿で行われた会議の宣言は、ドイツの占領地での恐怖政治を非難し、平和的人民に対する暴行に対して訴追・処罰する決意を表明した。この会議はベルギー、フランスなど9か国の亡命政府によって開かれたものであるが、イギリス、アメリカ、ソ連、中国などの諸国もオブザーバーを送っている。1943年10月には連合国戦争犯罪委員会がロンドンに設けられ、戦争犯罪人の処罰に関する準備が始められた。同年11月1日には、モスクワ三国外相会議を機として、アメリカ・イギリス・ソ連3国首脳の署名を得た「残虐行為に関する声明書」が発表され、残虐行為などを行った軍人やナチス党員をドイツが犯罪地の国に引き渡すことが休戦の条件であり、地域的に限定されない重大戦争犯罪人については連合国の共同決定によって処罰されるべきであるとした。1945年5月から6月にかけて連合国16か国の会議、さらに6月から8月にかけてアメリカ、イギリス、ソ連、フランスの4か国の会議がそれぞれロンドンで開かれ、その結果、8月8日には、ヨーロッパ枢軸諸国の「重大戦争犯罪人の訴追および処罰に関する協定」(いわゆるロンドン協定)が公表されたが、この協定には合計19か国の連合国が当事者として加わった。この協定に付属する国際軍事裁判所条例が、実際にドイツの戦争犯罪人の訴追と処罰の法的根拠を形成した。
 国際軍事裁判所条例は、裁判所の管轄に属する犯罪として、通常の戦争犯罪、すなわち戦争の法規または慣例の違反のほかに、平和に対する罪および人道に対する罪をあげ、これらの罪を犯そうとする共通の計画もしくは共同謀議の立案または実行に参加した指導者・組織者・共犯者は、その計画の遂行にあたって行われたすべての行為について責任あるものとした。裁判所は、アメリカ、イギリス、ソ連、フランスの4か国がそれぞれ1名ずつ任命した裁判官で構成され、裁判長にはイギリスのローレンスが互選された。4か国はそれぞれ主任検察官を1名ずつ任命し、その4名で訴追委員会が構成された。弁護人は全員ドイツ人であった。1945年10月18日にベルリンで起訴状が発表され、ゲーリングをはじめ24名が起訴された。裁判は11月20日に始まり、403回に及ぶ公判を経て、翌1946年9月30日から10月1日の2日にわたって判決が言い渡された。自殺または病死した2名を除き、22名について、判決は3名を無罪、19名を有罪とし、ゲーリング以下12名に絞首刑、ヘス以下3名に終身刑、他の4名に有期刑を科した。
 国際軍事裁判は、これをモデルとしてのちに行われた極東国際軍事裁判(東京裁判)とともに、侵略戦争を犯罪とし、非人道的行為についても個人の責任を問うものとした点に重要な意義がある。この裁判は東京裁判と比べて、平和に対する罪について量刑が軽く、他の罪について重い印象を与えるが、それは、この裁判で開かれた先例が東京裁判でいっそう定着性を高めたことを逆に示すものといえよう。[石本泰雄]
『大沼保昭著『戦争責任論序説』(1975・東京大学出版会) ▽横田喜三郎著『戦争犯罪論』(1947・有斐閣)』

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世界大百科事典内の国際軍事裁判の言及

【ニュルンベルク裁判】より

…第2次大戦とそれに関連する特定の行為に対し,ナチス・ドイツの指導者たちの責任を追及するために行われた裁判。裁判がドイツのニュルンベルクで行われたので,この名があるが,正式名称は国際軍事裁判という。日本の指導者たちの同種の責任を追及した東京裁判と並んで,国際法上いくつかの重要な問題を提起した。…

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