アメリカの映画監督、美術家。モンタナ州ミズーラ生まれ。父親がアメリカ農務省所属の研究者だったため、少年時代はアメリカ各地を転々としながら過ごし、1960年にバージニア州アレクサンドリアに落ち着く。地元のハイスクールに通うころから、彼の関心は子供のころから好きだった絵画に集中し始めた。彼にとって絵画(そして後年の映画)は、あらゆる混乱や不安を自身で統御することの可能な世界としてあり、尊敬する画家はフランシス・ベーコンやエドワード・ホッパーであった。1964年、高校を卒業してボストン・ミュージアム・スクールに入学。1年間で学業を放棄し、高校時代からの友人で、後に映画の美術監督として成功してリンチ作品にも参加するジャック・フィスクJack Fisk(1945― )とともに3年間の予定でヨーロッパ留学に旅立つも、わずか15日間で嫌気がさして帰国。翌1965年に、フィスクとともにフィラデルフィアのペンシルベニア・アカデミー・オブ・ファイン・アーツに入学。自作の絵画を動かしてみたいとの衝動に駆られてカメラを購入、1968年に4分間の短編映画『ジ・アルファベット』、さらにこの作品をきっかけに、芸術援助の国家基金の新設部門だったAFI(アメリカン・フィルム・インスティチュート)の資金援助で34分の短編『ザ・グランドマザー』(1970)を完成させる。2作ともアニメーションと実写を組み合わせた作品だが、彼のなかでしだいに実写に比重が傾き始めていった。1970年、AFIの招聘(しょうへい)でロサンゼルスに移住。1972年からAFIの資金援助を受けて最初の長編映画『イレイザーヘッド』(1977)の撮影を開始するが、撮影過程は資金集めも含めて困難を極め、結局、5年後に完成。翌1978年いわゆるレイトショー枠で小規模に公開され、第6回アボリアッツ国際ファンタスティック映画祭(1973~1993年フランス東南部アボリアッツで開催された、ファンタジー、サイコスリラー系映画の映画祭)で「黄金のアンテナ賞」を獲得。全米での正式な劇場公開にこぎつけ、独自の映像と音響で彩られた悪夢的な世界が観客をひきつける。監督兼俳優のメル・ブルックスMel Brooks(1926― )もその力量や将来性を認め、彼のプロダクション製作作品でリンチを監督に抜擢する。
イギリスのスタジオで撮影された『エレファント・マン』(1980)は、ディレクターズ・ギルド・オブ・アメリカの監督賞など各賞を受賞し、結局無冠に終わるもののアカデミー賞で8部門にノミネートされた。19世紀末のロンドンを舞台に、奇怪な人生を歩んだ実在の男性を主人公とするこの物語は、リンチ特有の美学が一般的なヒューマニズムの次元と絶妙に合致して、世界的な大ヒットを記録した。余勢を駆って、1982年大物プロデューサー、ディノ・デ・ラウレンティスDino De Laurentiis(1919―2010)のオファーでSF小説の大作『デューン 砂の惑星』(1984)の監督を引き受けるが、撮影は難航、3年半もの歳月を経てようやく完成するも、批評的にも興行的にも惨敗。ファイナル・カット(最終的な編集権)を奪われた形で大作の監督をした体験への反省から心機一転、自身の美学を貫徹させた次回作『ブルーベルベット』(1986)をやはりラウレンティス製作で発表。初めて真正面から扱った性的描写も含め、カルト的な人気を博し、復活を印象づける。
このころから、コマーシャル撮影や画家として個展をアメリカその他で開催するなど多面的な活動を展開するようになった。1989年からテレビドラマ界の鬼才マーク・フロストMark Frost(1953― )と着手したテレビ・シリーズ「ツイン・ピークス」(1989。リンチは序章も含めた全30話中7話を自身の手で監督)は、1990年から放映が開始されると、予想以上の高視聴率を記録して、ニールセン社の全米視聴率調査で年間第1位となり、ゴールデン・グローブ賞など多数の賞をさらう。その波は日本などにも及び、「ツイン・ピークス現象」を世界各地で巻き起こす。殺人事件の謎解きを中心に置きながら、周囲から隔絶した山間部の小さな街を舞台にしたこの物語は、癖のある特異なキャラクター群、オカルト的な傾向、人をくったブラック・コメディ等々のリンチの持ち味で、世界のテレビ視聴者を虜(とりこ)にしたのである。映画の方でも、『ツイン・ピークス』旋風の最中に製作された『ワイルド・アット・ハート』(1990)が、カンヌ国際映画祭でパルム・ドール(グランプリ)を受賞。ただし、テレビ・シリーズ放映終了後に新たに撮影された劇場公開用の映画『ツイン・ピークス ローラ・パーマー最期の7日間』(1992)は、出品されたカンヌを皮切りに軒並み酷評にさらされ、興行的にも失敗に終わった。その後も、『ロスト・ハイウェイ』(1996)、『マルホランド・ドライブ』(2001)など、他の追随を許さない独自の映像世界をスクリーン上で展開させている。
[北小路隆志]
ジ・アルファベット The Alphabet(1968)
ザ・グランドマザー The Grandmother(1970)
イレイザーヘッド Eraserhead(1977)
エレファント・マン The Elephant Man(1980)
デューン 砂の惑星 Dune(1984)
ブルーベルベット Blue Velvet(1986)
ワイルド・アット・ハート Wild At Heart(1990)
ツイン・ピークス ローラ・パーマー最期の七日間 Twin Peaks : Fire Walk With Me(1992)
キング・オブ・フィルム 巨匠たちの60秒 Lumière et compagnie - Premonition Following An Evil Deed(1995)
ロスト・ハイウェイ Lost Highway(1996)
ストレイト・ストーリー The Straight Story(1999)
マルホランド・ドライブ Mulholland Dr.(2001)
ダムランド DumbLand(2002)
インランド・エンパイア Inland Empire(2006)
ザ・ベスト・オブ・デイヴィッド・リンチ・ドット・コム Dynamic:01 : The Best of DavidLynch.com(2007)
それぞれのシネマ~「アブサーダ」 Chacun son cinéma - Absurda(2007)
『滝本誠編『フィルム・メーカーズ7 デイヴィッド・リンチ』(1999・キネマ旬報社)』▽『クロス・ロドリー編、廣木明子・菊池淳子訳『デイヴィッド・リンチ』(1999・フィルムアート社)』
社会的な非行を行った者に対し、法的な手続を経ることなしに加えられる集団的な暴力的制裁。私刑ともいう。社会秩序を維持するためには、これを乱した者に対し社会的な制裁を加える必要があるため、近代以前には、「私刑」とよばれるような集団的制裁が広く行われ、非行を行った者に対し過酷なリンチが加えられることがしばしばであった。これに対し、近代国家が成立し、国家が刑罰権を独占するに至ると、国家的制裁制度としての刑罰制度が確立した。これに伴って、国家のみが、一定の厳格な要件を満たし、しかも、法的な手続に従って、犯罪を犯したものと判断される場合に限り、公的な制裁としての刑罰を加えることが許される。したがって、このような近代的刑罰制度のもとでは、かりに違法な行為を行った者に対してではあれ、私的に制裁を加えることは、違法であるばかりでなく、さらに犯罪として処罰される。
ところが、今日のような法治国家のもとでも、私的制裁としてのリンチ事件は一定の条件のもとでしばしば発生している。第二次世界大戦前のわが国では、たとえば、関東大震災による社会的混乱に際し、人種的、思想的な偏見に基づく差別意識から、朝鮮人や社会主義者が根拠なく大量に虐殺されたり、リンチされるという不幸な事件がその典型である。今日でも、やくざや暴力団などといった反社会的集団にみられるように、集団の掟(おきて)に違反した場合に、この違反者に対しリンチがしばしば加えられている。これらの行為は、今日の法律のもとでは、違法な行為であるばかりでなく、刑法上、殺人、傷害、暴行などの罪により処罰される。
[名和鐵郎]
正規の法手続を経ずに,民衆が処罰,とくに死刑を行うこと。アメリカの独立戦争中,イギリス本国に味方する王党派に対して私的制裁を加えたバージニアのリンチCharles Lynchの名が語源とされている。開拓時代の西部では司法組織が未発達だったこともあって,犯罪容疑者に対するリンチは珍しくなかったし,南北戦争前の南部でも奴隷制廃止論者や逃亡奴隷を助けた者が,しばしば民衆により絞首刑や火刑に処せられた。南北戦争後はクー・クラックス・クラン(KKK)などによる組織的なものを含めてリンチが頻発し,1890年代には記録されているものだけで年平均150件以上にのぼった。これらの大半が南部で起きており,被害者の7割以上が黒人で,その場合,加害者はほとんど処罰を免れている。連邦法による処罰を求める反リンチ法案は再三にわたって南部議員の抵抗にあい,1968年まで成立しなかったが,人種差別の法的廃止にともない,公然たるリンチは姿を消しつつある。
→私刑
執筆者:中里 明彦
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