国家ないし公権力の公刑罰法規によらず,私人あるいは私的団体のおこなう制裁をさす。政治的権威が十分に確立せず公刑罰法規が実現されていない前近代の社会において,私刑の執行は広くみられる現象であるが,一応の公刑罰法規が存在し,その禁止が規定された社会においても私刑は往々行われ,当該社会の存立基盤,組織のありさまの一端を示している。中国,ヨーロッパについて以下にみる。
中国では早くから国家,公権力による刑罰法規の発達をみ,私刑は原則的に禁止されていた。しかし家族・同族内での懲戒,部曲や奴隷に対する主人の懲戒,また加害者に対する子孫の復讐などの私的制裁に関して,ときに法律上に規定があった。《水滸伝》など小説・戯曲類にあらわれる姦夫姦婦と称して男女を殺害することなども,公権力によって裁かれる性質のものであることを否定しない。
したがって最も典型的な私刑の例を中国史上に求めるならば,紅槍会・青幇(チンパン)・紅幇(ホンパン)などの秘密結社におけるそれであろう。ここでは組織の統制を維持し,秘密を保持するため,規約を定めて私刑を行った。そのために結社内に司法組織を整備していた。党員は入会にあたり,幇規を守りこれに違反したときには処罰されてもよいことを誓言する。逃走した党員はどこまでも追及して捕らえて刑に処した。処刑の方法は,首と両手足を斬りはなし,河海に投じて埋葬しないという厳酷なものであった。青幇の笞刑の等級は10の倍数によらず,9の倍数で定められていたという。
清代商工業者の組合は行・行会また幇とよばれたが,ここでは組織内の紛争は原則として公権力に訴えず,仲間の内での仲裁調停が行われた。統制に違反した場合には,ときに私的制裁が加えられた。ある種の会館には殴るための棍棒が備えられていたという。さらに清代の南中国では同族・同郷集団の間での武力闘争,いわゆる械闘(かいとう)がしばしば起こったが,これらの組織内での盗犯・姦淫について,公権力によらず私刑を行ったことがあった。
執筆者:植松 正
ゲルマン古代においては,犯罪は(1)個人の利益(生命,身体,財産,名誉など)を害するものと,(2)国家や人民団体の利益を害するものの2種類に分けられ,前者の個人の利益の侵害に対しては,ジッペ(氏族団体)による制裁に任された。すなわち,被害者のジッペは,加害者のジッペに対して復讐を行う権利と義務を有し,他方加害者のジッペも加害者を援助して復讐に応じる義務があった。このような両ジッペ間の敵対関係および復讐を,フェーデ(私闘)とよんだ。このように,個人に対する犯罪の制裁は,国家の手によらず,各ジッペに任されていたことから,フェーデを一種の私刑とみることはできる。しかしそれは国家から容認されたものである以上,近代国家における私的制裁とは違った性格のものであった。フランク王国をはじめ中世の諸国家は,フェーデを排除し,裁判手続によって紛争を解決することが,国家権力確立の要件と考えた。これはとくに10世紀以降の〈神の平和〉ないしラント平和令の形ですすめられ,フェーデ権は放棄ないし制限された。しかし,国王権力ないし領主権力の下での裁判が犯罪に対する制裁の第一手段として確立されても,フェーデは全廃されず,二次的ないし補充的手段として残存した。
絶対主義・啓蒙主義時代には,刑法・刑事訴訟手続なども整備され,フェーデは消滅し,私闘や決闘は過去の遺風となった。近代では,私的制裁,私刑は国家によって禁じられるようになったが,アメリカ開拓時代の西部におけるリンチが私刑の例としてあげられる。
→刑罰 →復讐 →リンチ
執筆者:三浦 徹
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