日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロッセリーニ」の意味・わかりやすい解説
ロッセリーニ
ろっせりーに
Roberto Rossellini
(1906―1977)
イタリアの映画監督。ローマ生まれ。建築会社を経営する裕福な一家に生まれ、高校卒業資格を得ないまま、趣味の自動車などに熱中する青春時代を送る。『牧神の午後への前奏曲』(1938)など数本の短編ドキュメンタリーを手がけた後、国策映画『空征(ゆ)かば』(1938)の脚本に参加。第二次世界大戦中に海軍省製作の『白い船』(1941)で監督デビュー、「ファシスト三部作」とよばれる『飛行士の帰還』(1942)、『十字架の男』(1943)を完成。戦争終了直後、ナチスによるローマ占領とレジスタンス運動を描いた『無防備都市』(1945)で世界を震撼(しんかん)させ、ネオレアリズモの呼称を一躍広めた。被写体をあるがままにとらえる視線は、連合軍のイタリア解放を六つの挿話で綴った『戦火のかなた』(1946)や、廃墟のベルリンで自殺する少年を主人公にした『ドイツ零年』(1948)でも一貫していた。『ストロンボリ 神の土地』(1949)で出会ったイングリッド・バーグマンと不倫騒動を巻き起こし、1950年に彼女と再婚。即興的な演出で夫婦の危機を見つめた『イタリア旅行』(1954)は、フランスのヌーベル・バーグに多大な影響を与える。『ロベレ将軍』(1959)と『ローマで夜だった』(1960)でネオレアリズモに回帰した後、ガリバルディの長征を描いた『イタリア万歳!』(1960)で歴史映画へと向かう。『鉄の時代』(1965)から『デカルト』(1974)までは、おもにイタリア国営放送(RAI)でテレビ用映画を手がけた後、キリスト教民主党の創設者アルチーデ・デ・ガスペリAlcide De Gasperi(1881―1954)の伝記映画『元年』(1974)とキリストの受難劇『救世主』(1975)の2本をつくった。
[西村安弘]
『M・ヴェルドーネ著、梅本浩志他訳『現代のシネマ10 ロッセリーニ』(1976・三一書房)』▽『ロベルト・ロッセリーニ著、西村安弘訳『ロッセリーニ 私の方法――映画作家が自身を語る』(1997・フィルムアート社)』