フィリピン国内で最大の島。人口約5700万人。フィリピンの政治・経済の中心マニラ首都圏が中央に位置する。北部は山深く、都市は盆地に多い。国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に登録されている棚田があるバナウェ、避暑地として知られるバギオもある。スペイン統治時代の建物などが多く残る。フィリピンへの日本人移住は1903年、道路建設の労働者がルソン島に渡って本格化。太平洋戦争で旧日本軍と米軍の戦場となった。(マニラ共同)
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フィリピンの主島で、フィリピン群島最大の島。漢字では呂宋と表記される。同国北半部に位置し、面積は10万4684平方キロメートルで国土総面積の約35%、人口は約4000万(2000)で全国の約半数を占める。東は太平洋、西は南シナ海に面し、北はルソン海峡により台湾と、南はシブヤン海によりビサヤ諸島と隔てる。地形は複雑で、胴体部分は中央のセントラル、東のシエラ・マドレ、西のサンバレスの三条の山脈が並行して南北に走り、その間にルソン島の心臓部ともいえる中央大平原や、北のカガヤン平野を抱く。一方南東部からビコル半島にかけては、タール火山、マヨン火山などの多数の活火山や湖水がある。海岸線は複雑で良港が分布する。気候は山脈によって支配され、一般に東側は降雨の季節性に乏しく、西側は雨期、乾期の交替が明瞭(めいりょう)である。降水量は東岸部、セントラル山脈およびサンバレス山脈で多く、カガヤン平野、中部ルソン平野など山脈に挟まれた部分で少ない。しばしば台風の被害を受けることがある。
住民分布も複雑で多くの言語集団からなるが、大別してネグロイド系、プロト・マレー系、新マレー系のものが、それぞれ地域を異にして居住している。また新マレー系でも、キリスト教徒と非キリスト教徒は地域を異にする。居住の歴史は古く、北部ルソン西海岸、マニラ湾岸、バイ湖沿岸、ビコル地方はスペインの植民地化以前にもかなりの人口が存在していた。1571年マニラがスペインの植民地経営の根拠地とされたが、開発は19世紀以降急速に進められ、現在ではキリスト教徒としてのタガログ人が、全群島の指導権をもつに至っている。
おもな産業は農業で、米が中部ルソン平野を中心に全域で栽培され、ほかに北部でタバコ、中部でサトウキビ、南部でココヤシがつくられている。またビコル半島のココヤシとアカバも重要な産物である。このほかマンガン、金、銅、クロムなどの鉱物資源が、主としてセントラル山脈中にみられる。道路網はマニラを中心に発達し、国道が南北両端にまで達している。鉄道も南はレガスピ、北はラウニオン州のサン・フェルナンドまで延びている。島はメトロポリタン・マニラ(マニラ首都圏)と28の州に分かれ、23の市が含まれている。
[別技篤彦]
ルソン島の低地部は、1570年代からスペインの植民地支配を受けた。それ以前にこの島に統一的な政治支配が成立した形跡は見当たらない。スペインは住民の言語の違いに基づいて州制度を設け、またこの島を三つの司教区に分けてカトリックの布教に努めた。3司教座はマニラと南部のヌエバカセレス(ナガ)、北部のヌエバセゴビア(ビガン)に置かれ、政教一致のスペイン体制下では、この3都市がルソン島統治の拠点となった。ただし、中央コルディエラ山脈地帯など山岳地域は交通が非常に困難だったので、スペインの支配はほとんど及ばなかった。ルソン島の経済発展は、18世紀後半まで概して停滞的だった。1782年から、カガヤン渓谷とヌエバエシハ、南北両イロコス、アブラ、ラウニオンの地域にタバコの強制栽培制度が実施され、政庁財政を大いに潤したが、そのために住民生活は著しく疲弊した。19世紀に入って、マニラが開港されると、各地で商品作物経済が進展した。中央ルソンや南タガログ地方ではサトウキビ栽培が、またビコール地方ではマニラ麻の栽培が盛んになった。そしてこの時期から、ヌエバエシハなどフロンティアへの移民が盛んになった。こうした経済発展を背景に、19世紀後半には植民地改革運動が起こり、1896年にはフィリピン革命が勃発(ぼっぱつ)した。革命の先陣を切ったのは、中央ルソンおよび南タガログ地方の8州だった。この革命過程で、フィリピン独立教会(アグリパヤニズム)が誕生し、北イロコス地方を本拠地にして全国的に広まった。
20世紀に入ってアメリカの植民地支配が始まると、山岳地域にも中央政府の統治の手が伸び、小学校の建設、道路網の整備が全島的に進んだ。資本主義経済の影響が強まるにつれて、小農民や小作農の生産条件は劣悪化し、人口密度が高い中央ルソンは、1920年代以降60年代まで、もっとも過激な農民運動の温床となった。日本占領下で最強の抗日運動を展開したフクバラハップ(抗日人民軍)は、この農民運動を基盤に結成された。
[池端雪浦]
フィリピン群島中最も大きい島。漢字では呂宋と表記される。面積10万4687km2は国土総面積の約35%にあたる。東は太平洋,西は南シナ海に面し,北はルソン海峡により台湾と,南はシブヤン海によりビサヤ諸島と隔てる。島の北部から中部にかけてシエラ・マドレ,中央(セントラル)山脈,サンバレスの3本の山脈が南北方向に走って骨格を形成し,これらの間にカガヤン,中部ルソンの2大沖積平野が開ける。南部から南東のビコル半島にかけては大小の火山が林立し,その間に平野,盆地,丘陵が点在する。最高峰は中央山脈のプログ山(2934m)で,山容が最も美しいのはビコル半島のマヨン山(火山。2462m)である。気候は山脈によって支配され,西側では6~11月に南西モンスーンにより雨季がもたらされ,東側では12月~2月に多雨季が現れる。降水量は東海岸と中央山脈,サンバレス山脈の西側で多く,山脈にはさまれた部分で少ない。
人口は約3500万(1995)で,フィリピン全体の約50%を占める。人口密度は約350人/km2で,北部西海岸,中部,南部,ビコル半島で高い。住民は多くの言語集団からなるが,主要なものだけでも北からイロコ,パンガシナン,パンパンゴ,タガログ,ビコルの五つに分かれる。主たる産業は農業で,稲作は中部ルソン平野を中心に全域に,換金作物としてのタバコは北部,サトウキビは中部,ココヤシは南部,マニラアサ(アバカ)はビコル半島に分布する。鉱物資源はカマリネス州の鉄,金,マンガン,サンバレス州のクロムと銅,中央山脈の金と銅が代表的なものである。工業はマニラとその周辺部に集中し,地方への波及はまだ小さい。北部西海岸,マニラ湾岸,バイ湖沿岸,ビコル半島にはスペイン人の到来までにかなりの居住がみられた。1571年にマニラがスペインの植民地支配の根拠地となったが,開発の波が全島に及ぶのは19世紀の商品生産展開以降であった。マニラを中心に道路網が発達し,南北両端まで国道が達する。鉄道はマニラから北のサン・フェルナンドと南のレガスピまでのびるが,道路交通ほどの重要性はない。島はメトロ・マニラ(首都圏マニラ)と28州に分かれ,そのなかに23の政令都市を含む。
執筆者:梅原 弘光
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…フィリピンのいわゆる平地キリスト教民の一グループで,マニラを中心にルソン島中部・南西部の諸州,およびミンドロ島海岸平野部やマリンドゥケ島などに住み,タガログ語を話す。人口は1000万(1975)で総人口の23.8%を占め,セブアーノ族と並んでフィリピン最大の言語グループを形成している。…
※「ルソン島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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