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ルーブル ruble

翻訳|ruble

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ルーブル
ruble

ロシア連邦などの通貨単位。略号は RUBで,補助通貨単位はカペイカ kopeck (1ルーブル=100カペイカ) 。貨幣として流通し始めたのは 13世紀以降。 1534年ロシアの統一的な通貨の計算単位となり,1704年のピョートル1世 (大帝) による通貨改革では世界で初めて十進法を取り入れたといわれる。ソビエト連邦成立後はその通貨単位となったが,1917年の十月革命後は,革命による混乱と外国の干渉に対処するため通貨の増発を余儀なくされたことからインフレーションに悩まされた。このため革命政府は 1922~23年の通貨改革,1926~28年のルーブルの輸出入の禁止を断行して計画経済における安定した通貨を確立。その後は観光の発展と外貨の吸収を目的に,ルーブルの対外貨比率を 1936年にはフラン,1937年にはドルを基準に決め,1950年には対ルーブル・レートは金を基準とするようになった。為替レートは 1992年7月から銀行間レートに基づくものに一本化されている。 1998年には 1000ルーブルを1ルーブルとするデノミネーションが行なわれた。なおソ連崩壊後はバルト3国で独自通貨が発行されたほか,ウクライナをはじめ多くの独立国家共同体 CIS諸国でも独自の通貨が導入されている。

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百科事典マイペディアの解説

ルーブル

ロシアの通貨単位。1ルーブル=100コペイカkopeika。16世紀以来ロシアの統一的通貨単位となる。革命後のソ連に引きつがれ,数次の通貨改革を経て,1937年対外相場を米ドル基準で設定,1950年金基準に変更しルーブルの独立性を誇示。
→関連項目ロシア

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世界大百科事典 第2版の解説

ルーブル【rubl’】

ロシアの貨幣単位で,1ルーブルは100カペイカkopeika。ソ連時代にルーブルの金含有量は1961年以降0.987412gと定められていたが,ルーブルの金価値は名目的なものにすぎず,金との兌換(だかん)性は与えられていない。資本主義国の通貨と同じく不換紙幣である。なおルーブルの語源は〈一定の価値をもつ銀片〉の意味である。 ゴスバンクはソ連邦における唯一の発券銀行として,銀行券の発行に関する独占権をもっていた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ルーブル
るーぶる
рубль rubl' ロシア語

帝政ロシア、ソビエト連邦および現在のロシア連邦の通貨単位。ルーブルは、語源的には「一定の価値をもつ銀片」という意味である。1ルーブル=100コペークкопеек/kopeek(単数形はコペイカкопейка/kopeyka)。[原 信]

帝政時代

ルーブルは、13世紀ごろから銀塊の形で流通に用いられていたが、1547年イワン4世の即位に際して通貨単位として採用された。その後1704年、ピョートル大帝のもとで、27.3グラムの純銀量目をもつルーブル銀貨が正規の鋳貨として鋳造され、また、1ルーブルを100コペークとすることが定められて、世界で最初の十進法通貨制度が成立した。
 1839年に銀本位制が導入されたが、クリミア戦争(1853~1856)によるインフレーションが生じ、さらにロシア・トルコ戦争(1877~1878)の影響も加わって、通貨制度は混乱した。このような状況のもとで、1897年蔵相ウィッテによって金本位制が確立され、1ルーブル=純金774.234ミリグラムの量目が決定された。しかし、この金本位制も、1914年に第一次世界大戦が始まると、同年7月27日の法律によって停止されることになる。[原 信]

革命後

1917年の十月革命後、ソビエト政府が不換紙幣を濫発したため、激しいインフレーションが起こった。1920年ごろ、内戦や外国の軍事干渉がほぼ終結すると、ソビエト政府はネップ(新経済政策)の導入に踏み切り、通貨改革に努力した。まず、1921年11月に1万分の1のデノミネーション(貨幣単位の呼称を、たとえば10分の1とか100分の1とか切り下げて新しい名称にかえること)を、翌1922年10月には100分の1のデノミネーションを実施した。また、これと並行して、1921年に中央銀行としてゴスバンクを設立、翌1922年11月から旧金貨10ルーブルと等価のチェルボーネツчервонец/chervonetsという銀行券を発行した。これは、銀行券発行高の25%まで貴金属の裏付けをもつものであった。さらに、依然として無制限に増発されていた政府の不換紙幣を回収すべく、1924年2月に政府は、1チェルボーネツの10分の1に等しい新政府紙幣を発行、そして翌3月には新政府紙幣1ルーブル=旧政府紙幣5万ルーブルの割合で交換することを決定し、旧紙幣の回収を図った。
 このような、革命後のソ連では、1921年から1924年にかけて、2回のデノミネーションと1回の通貨改革で、合計500億分の1のデノミネーションが行われたことになる。
 1935年、ルーブルの対外価値を安定させるため、フランス・フランにリンクさせることとなり、1ルーブル=3フランとし、翌1936年4月からすべての対外取引に適用された。1937年6月にフランスが金本位を離脱すると、今度は米ドル・リンクとし、1米ドル=5.3ルーブルとなった。[原 信]

第二次世界大戦後

ソ連は、第二次世界大戦後もまたインフレーションにみまわれたので、1947年に通貨改革が行われた。それは新ルーブルを発行し、現金は旧10ルーブルに対し新1ルーブルの割合で交換し、給料や年金などは旧1ルーブル対新1ルーブル、預金は額に応じて旧1ルーブル対新1ルーブルから旧2ルーブル対新1ルーブルまでの優遇レートを適用するというものであった。
 1950年にはルーブルの対米ドル・リンクを廃止し、新たに金平価を設定、1ルーブル=222.168ミリグラムとした。これによって対米ドル相場は32.5%の切上げとなり、1米ドル=4ルーブルとなった。さらに1961年にはルーブルの金平価を987.42ミリグラムに変更すると同時に、10分の1のデノミネーションを実施した。この結果、新しいルーブルの対米ドル相場は1米ドル=0.9ルーブルとなった。
 その後、国際通貨基金(IMF)の固定相場体制が崩壊し、米ドル以下主要通貨が変動相場制に入ると、ルーブルの公定相場は弾力的に変更されるようになり、ソ連当局によって毎月公表された。1982年9月では1米ドル=0.734ルーブルであった。
 ソ連時代のルーブルは、自由経済圏の主要通貨とは異なり、外貨に対する交換性がなく、また、対外取引そのものも政府ベースで行われるため、為替(かわせ)相場のもつ意味は小さかった。対外収支の調整は、経済・貿易計画の調整と、保有金の市場売却によって行われていた。なお、1949年、東欧諸国の間にコメコン(経済相互援助会議)が設立され、ソ連・東欧圏内の多角決済機構となり、「振替ルーブル」が決済単位となった。しかしこれは交換性がなく、域外との決済には利用できなかった。このようにルーブルは、旧東欧社会主義圏内での決済通貨であり、価値の計算単位の役割を果たしていた。[原 信]

ロシア連邦のルーブル

1991年末ソビエト連邦が解体すると、加盟15共和国はそれぞれ独立し、バルト三国を除く12の共和国はCIS(独立国家共同体)を結成した。ソ連崩壊後のロシアは激しいインフレーションと経済混乱にみまわれ、財政赤字の増大とともにルーブルは減価を続けたが、独立後の旧ソ連各共和国はルーブルの使用を続け、多くは独自のクーポンを併用した。そしてバルト三国、ウクライナ、ベラルーシは1992年から独自通貨を導入、ロシア連邦は1993年7月新ロシア・ルーブル紙幣を発行、旧ソ連ルーブルの使用を停止した。そのため他のCIS諸国も1993年以降漸次自国通貨を発行、それぞれ対米ドル為替相場の公表を開始した。
 ロシアは1992年初より計画経済を廃止、市場経済システムに移行するとともに6月にはIMFに加盟、欧米日からの金融支援も開始された。ルーブルの為替相場は、ソ連時代の固定的為替相場制から管理された変動為替相場制に移行し、ロシア中央銀行(CBR)はモスクワの銀行間外国為替市場(MICEX)の実勢に基づき中央銀行公表レートを発表、初日の7月1日は1米ドル=125.26ルーブルであった。しかしルーブル為替相場は激しいインフレーションの進行とともに、1993年末には1247ルーブルへと急落、さらに1995年7月からは変動幅をもつ対米ドル目標相場圏方式を採用したが、1997年末には5960ルーブルへと下落した。そのため1998年初めに1000分の1のデノミネーションを実施、1米ドル=6ルーブルでスタートしたが、8月ロシア金融危機が発生すると、1999年末は28ルーブル、2001年末には32ルーブルにまで下落した。金融危機発生の原因は、1997年のアジア通貨危機に続いて、原油価格の急落によるロシアの国際収支の悪化を警戒した外資が、一斉に対ロシア投融資の引揚げを開始したことによる。そのため外貨準備が急減し、対外債務のデフォルト(債務不履行)に直面したロシア政府は、ルーブルの32.8%の大幅切下げとともに、短期国債および外国為替市場取引の停止と民間対外債務のモラトリアム(返済棚上げ)を宣言した。その結果多数のロシア商業銀行が破綻(はたん)するとともに、ロシア国債や商業銀行に大量に投融資していた西側金融機関やヘッジファンドは巨額の損失を被り、世界的に大きな波紋を引き起こした。
 しかし大幅な為替相場の切下げとその後の原油価格の上昇に支えられ、ロシアの国際収支は急速に改善し外貨準備が増大した結果、ルーブル為替相場は安定に向かう。2005年には対ヨーロッパ連合(EU)取引の増大を反映し、CBRはルーブル為替相場決定を対米ドル連動から、米ドル・ユーロ通貨バスケット方式に変更、以後、1米ドル27~25ルーブル前後で推移した。しかし2008年後半、ジョージア(グルジア)紛争発生と再度の原油価格急落にみまわれ、2009年に入ると30~35ルーブル近辺にまで下落している。
 ロシアは石油ガス資源大国だが、ルーブル安定化のためには、経済構造改革による過度の資源依存経済からの脱却、金融システムの近代化、そして政治情勢の安定化が望まれる。[大島 梓]

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