レプティス・マグナの古代遺跡(読み)レプティスマグナのこだいいせき

百科事典マイペディア の解説

レプティス・マグナの古代遺跡【レプティスマグナのこだいいせき】

リビアの北西部にあった古代都市跡。首都トリポリより東へ約120kmに位置する。カルタゴを中心に西地中海交易圏を形成していたフェニキア人が,前10世紀ごろ交易拠点として建設した都市で,古代ギリシア人からはオエア(現,トリポリ),サブラータと共にトリポリス Tripolis(三つの都市の意)と呼ばれていた。その後,ローマ支配下となり,193年この土地出身のセプティミウス・セウェルスローマ皇帝となったことで2世紀末から3世紀初頭にかけて,凱旋門神殿,闘技場,公衆浴場などが整備され,当時ローマに匹敵するといわれるほど発展した。5世紀には東ゲルマン系のバンダル族の王ガイセリックによって支配されバンダル王国の一部となったが,6世紀にビザンティン帝国(東ローマ帝国)が奪還し破壊された都市の復旧を行った。7世紀にアラブイスラム軍により制圧されたころには都市は衰退し,1921年イタリア人により発見(調査発掘は1923年―1935年)されるまで1000年以上も砂に埋没していた。長年,砂に埋もれていたため保存状態がよく,他の地域では失われてしまった古代ローマの施設がほぼ完全な状態で残されており,その文化的価値から1982年世界文化遺産に登録された。広大な遺跡群の7割以上は,未だに砂に埋もれているが凱旋門や港施設,商店が立ち並んだ公共広場など,多数遺跡から当時の繁栄ぶりがうかがえる。

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世界遺産詳解 の解説

レプティスマグナのこだいいせき【レプティス-マグナの古代遺跡】

1982年に登録されたリビアの世界遺産(文化遺産)で、同国北西部、首都トリポリの東約100kmの地にある古代ローマ都市の遺跡。レプティス・マグナは、紀元前9世紀頃にフェニキア人が地中海沿岸に建設した港町で、ローマ帝国の支配下に入ってから発展し、歴代皇帝によって小神殿や闘技場、浴場など数多くの建造物が建てられた。この地出身のセプティミウス・セウェルス帝の治世下、2世紀末から3世紀初めにかけて、凱旋門、大会堂、列柱回廊などが整備され、町は黄金期を迎えた。その後7世紀に、アラブ・イスラム軍によって町は破壊され、砂に埋もれた。20世紀になって発掘が進められ、公共広場や凱旋門など、当時の繁栄ぶりをうかがわせる建造物が、比較的良好な状態で出現した。北アフリカ屈指のローマ都市遺跡としての文化的価値が評価され、世界遺産に登録された。◇英名はArchaeological Site of Leptis Magna

出典 講談社世界遺産詳解について 情報