コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

フェニキア フェニキア Phoenicia; Phoinikē

6件 の用語解説(フェニキアの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

フェニキア
フェニキア
Phoenicia; Phoinikē

古代,地中海に発展した民族と国家。現在のレバノンとほぼ地域的に一致。ヘロドトスによれば,フェニキア人は前 3000年頃ペルシア湾から東地中海地方へ移住してきたという。フェニキア人は北西セム語系諸族で,カルメル山から北へテュロスシドンベイルートビブロスウガリト (ラス・シャムラ) などの東地中海沿岸地域に居住した。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

フェニキア(Phoenicia)

現在のシリア・レバノン沿岸付近にフェニキア人が建てた都市国家群の総称。前8世紀以降、ギリシャの台頭によって衰退し、前64年、ローマに併合された。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

フェニキア

古代オリエントの商業・航海民族,またシリアの地中海東岸部の古称。ヘブライ人と同じセム族に属し,シリア沿岸に都市連合国家を作った。前15世紀ごろにはウガリトビュブロスなどを中心にオリエント文明エーゲ文明との混合文化が繁栄,この間に数種のアルファベットが考案された。
→関連項目イビサ[島]カディスガラス工芸サブラータの古代遺跡スーススペインティールフェニキア語ポルトガルマルタモナコ(国)レプティス・マグナの古代遺跡

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

世界大百科事典 第2版の解説

フェニキア【Phoenicia】

地中海東岸の一地方に対する古代名。南北方向にタルトゥースからカルメル山までの約320km,東西方向には海岸から東へ約20kmの細長い地帯をなし,最高地点は標高約300mである。古代地理上シリアの一部をなし,南にはパレスティナ,東にはヨルダン地峡,北にはオロンテス川流域の平野部がある。地中海式気候を示し,夏を中心とする乾季には高温寡雨であるが,冬季には西アジアの一部としては比較的湿潤である。 住民は古代末までにきわめて混交した状態になり,知られる最古の住民は,北西セム語族カナン人であるが,この地に到来した時期は不明である。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

フェニキア【Phoenicia】

古代、地中海東岸地域に成立したシドン・ティルスなどの都市国家の総称。また、そこに住んだセム系の住民(フェニキア人)。航海術にすぐれ、地中海や大西洋まで進出し植民市を建てたが、紀元前一世紀にローマに併合。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

フェニキア
ふぇにきあ
PhoeniciaPhenicia

地中海東岸、現在のレバノンとこれに隣接する地域の古代名、およびその沿岸諸都市を拠点として海上交易に従事した民族。通常は、北はエレウテロス川から南はカルメル山あたりまでをさすが、時代によりその地理的範囲は一定していない。フェニキアは、政治的には統一されたことがなく、北からウガリト(現ラス・シャムラ)、アルワド、ビブロス、ベリトス(現ベイルート)、シドン(現サイダ)、ティルスなどの沿岸諸都市を中心に都市同盟を形成し、早くから海上交易を活発に行った。フェニキア人は単一民族ではなく、ヘブライ人、アラム人とともに北西セム系に属し、混血が進んだ。[高橋正男]

歴史

地理的にはメソポタミアとエジプトとの接点にあたり、クレタ文明の影響も受けた。フェニキア人の民族としての発祥地についてはまだ判明していないが、その歴史は、紀元前3000年紀の中葉に、古王国時代のエジプトがレバノン杉を求めてビブロスに交易基地を設けたころにさかのぼる。エジプトとの交易に次いで前二千年紀に入ると、民族移動の影響で混乱し、その中葉ころにはアーリア系、フルリ系、セム系の小都市国家群が分立した。アルファベットの祖型が成立したのもこのころである。前14世紀のアマルナ時代を中心として、オリエント諸国の交易活動が盛んとなり、エジプトにかわってフェニキア諸都市が列強の影響のもとに独自の文化を生み出した。当時の交易の中心はウガリト、ビブロスなどであった。交易品目は『ウガリト文書(もんじょ)』に詳しく伝えられている。いずれにせよフェニキアは列強の間にあって巧みに生き延びた。前13~前12世紀のエーゲ民族の移動により、諸都市は一時衰えたが、まもなくティルスを中心に再興し、各地に植民市(商館)を建設するなどして繁栄を取り戻し、地中海交易を独占した。とくに西地中海、アフリカ北岸のウティカ、カルタゴ、スペインのガデス(現カディス)などに植民市を建設し、この間に東方文明を西方世界へ伝えるという重要な文化史的役割を果たした。このころ彼らの最大の文化遺産であるアルファベットが国際交易を通じてギリシアに伝えられた。ちなみに、カルタゴはティルスが建設した植民市で、本国が衰えたのち、その植民諸市の支配者となった。ティルスの王ヒラム1世はイスラエルの王ソロモン(前10世紀)と経済条約を結んでエルサレム神殿の建設を援助し、ついでともにアカバ湾沿岸のエツィオン・ゲベルから黄金の国オフィル(南アラビアともソマリランドともインドともいわれる)まで通商隊を派遣した。彼らが大西洋岸に達したのもこのころであった。前7世紀には、優れた航海術で地中海交易の覇権を掌握したフェニキア人は、エジプト王ネコ2世の命により、およそ2年半を費やして西回りでアフリカ一周航海に成功した。フェニキア諸都市の政体は王政がもっとも古い政体で、国王(都市の首長)は王家に属する者から選ばれた。国王の権力は祭司と富裕な商人層の制約を受けていた。ビブロス、シドン、ティルスには長老からなる国王の諮問機関が付属していた。フェニキアの政治的独立は短く、前9世紀に、アッシリア王アッシュール・ナシルパル2世がティグリス川から地中海に至る全域を征服し強大になると、フェニキア諸都市はしだいに勢力を失い、アッシリア、エジプト、新バビロニア、ペルシアの支配を受け、やがてローマの属州となり、前146年、ローマ人のカルタゴ占領とともに、フェニキア人は史上から消え去った。
 フェニキア人は、レバノン杉と松材、精製亜麻(あま)布、ティルスの深紅染め布、シドンの刺しゅう、金属製品、ガラス、ぶどう酒、塩、干魚などをエジプト、アナトリア、アフリカ、エーゲ海、さらに西地中海の国々へ輸出し、その見返りにパピルス、象牙(ぞうげ)、黒檀(こくたん)、絹糸、こはく、ダチョウの卵、香味料、香料、馬、金、銀、銅、鉄、錫(すず)、宝玉、宝石などの原材料を持ち帰った。また美術工芸にも長じ、それらの製品を交易路を介して東方や地中海沿岸各地に伝えた。[高橋正男]

宗教

フェニキアの宗教は、これまで『旧約聖書』のなかの断片的な記述による以外ほとんど知られていなかったが、『アマルナ文書』および『ウガリト文書』の発見、解読、研究により、聖書以前のフェニキア・カナーンの宗教生活の実態が明らかにされた。その中心は生産の豊穣(ほうじょう)を祈る農耕宗教であった。フェニキア人のパンテオンの最高神はエルで、その配偶神はアシェラであった。シドンではバアル(「主(しゅ)」「所有者」の意。肥沃(ひよく)神)が拝されていたが、これは『ウガリト文書』のなかにもしばしば言及されており、『旧約聖書』のなかではカナーンの神として登場する。バアルは、バアル・ツァフォン、バアル・シャミイム、バアル・レバノンなどの名で拝されていた。このほか、ダゴン(魚神)、ハダド(雷神)、メルカルト(市の守護神)、アシタロテ(シドン人の女神、ビブロスの女神)などが拝されていたが、いずれも北西セム人に共通な神々であった。『旧約聖書』の宗教は、フェニキアの宗教に対して自らをはっきりと区別し、フェニキアの商業優先の倫理に対して激しく反発していた。[高橋正男]

美術

フェニキアの美術は、その本拠地がエジプトと小アジアの接点にあたり、また西に向かって海が開けていたために、各地域の美術の混合・折衷が著しい。しかし、その位置的関係から、基本的にはシリア・パレスチナ美術と同じ性格であり、その変遷は諸都市国家の盛衰と対応している。
 フェニキア人の生業は海上交易であったので、美術活動も、原料を輸入して加工する工芸品製作に特色があり、染色、木工、金属・ガラス・象牙(ぞうげ)などの細工物に優れた装飾性を示している。とくにガラス工芸はフェニキアの特産の一つで、それまでのコア・ガラス、型抜きガラスのほかに、紀元前1世紀中ごろにシリア沿岸地方のガラス製作地で、吹きガラスが創案されたと推定されている。また、地中海産の巻き貝からとれる染料を用いた美しい紫色の織物、金銀の皿、精巧な象牙細工などは、古代世界で非常に珍重された。建築や彫像などは、略奪や破壊を受けてほとんど現存しない。しかし、きわめて優れた航海民族フェニキア人によって、地中海各地の美術の交流が促進されたことは、とくに意義深いことである。[友部 直]
『W・キュリカン著、村田数之亮訳『地中海のフェニキア人』(1971・創元社) ▽C・H・ゴールドン著、柴山栄訳『聖書以前』(1967・みすず書房)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内のフェニキアの言及

【フォイニクス】より

…慣用ではフェニックスPhoenix。(1)フェニキア王アゲノルAgēnōrの子。ゼウスにさらわれた妹エウロペの捜索を父王に命じられ,兄弟のカドモスらとあてのない旅に出たが,ついに見つけられなかったため故国には帰らず,シドン(またはテュロス)に定住して王となった。…

※「フェニキア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

フェニキアの関連キーワード地中海式農業アメリカ地中海ストロンボリ地中海気候ロケットサラダキプロス島ボス 地中海ブレンド重症性地中海貧血地中海式岩石群エテジア

今日のキーワード

日本政策投資銀行

1999年に日本開発銀行と北海道東北開発公庫を統合し、発足した政府系総合政策金融機関。一般の金融機関が行なう金融などを補完・奨励し、長期資金の供給などを行ない、日本の経済社会政策に金融上で寄与していく...

続きを読む

コトバンク for iPhone

フェニキアの関連情報