ローシー(読み)ろーしー(英語表記)Giovanni Vittorio Rossi

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ローシー」の意味・わかりやすい解説

ローシー
ろーしー
Giovanni Vittorio Rossi

生没年不詳。イタリア人のバレエ教師、振付師オペラ演出家ミラノに生まれる。スカラ座付属バレエ学校に学び、スカラ座に入団。1901年以降ロンドンのミュージック・ホールなどで振付師として活躍。1912年(大正1)日本の帝国劇場の歌劇部教師として招かれて来日、オッフェンバックの『天国と地獄』などを上演した。生徒に田谷力三石井漠(ばく)、高田雅夫(まさお)(1895―1929)、高田せい子清水金太郎(1889―1932)、原信子(のぶこ)(1893―1979)らがいた。帝劇の洋劇部(歌劇部改称解散(1916)後、赤坂に「ローヤル館」を開場して『椿姫(つばきひめ)』などのオペラを上演したが失敗、1918年に解散してアメリカへ渡ったが、その後の消息は不明。日本の洋舞界やオペラ界に大きな影響を与えた。

市川 雅]

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改訂新版 世界大百科事典 「ローシー」の意味・わかりやすい解説

ローシー
Giovanni Vittorio Rossi

イタリア生れの舞踊家,オペラ演出家。生没年不詳。E.チェケッティ門下といわれる。ミラノ・スカラ座で踊ったが,その後イタリアのオペラ団に加わって,東南アジアなどを巡演。1901年以後はロンドンのミュージック・ホール系のエンパイア劇場やアルハンブラ劇場で活躍した。1912-16年日本の帝国劇場歌劇部(のち洋劇部と改称)で《魔笛》をはじめオッフェンバックの《天国と地獄》などの演出を手がけた。帝劇解散後,赤坂のローヤル館でイタリア語によるマスカーニの《カバレリア・ルスチカーナ》,ロッシーニの《セビリャの理髪師》など本格的なオペラの演出をしたが,興行としては失敗した。18年2月にアメリカへ渡り,その後の消息は不明である。日本ではじめてクラシック・ダンスを教え,その門下からは田谷力三,原信子ら浅草オペラで活躍する人々や石井漠,高田雅夫,高田せい子ら日本洋舞界の先覚者を生んだ。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ローシー」の解説

ローシー Rosi, Giovanni Vittorio

1867-? イタリアの振付師,演出家。
1867年10月18日生まれ。大正元年(1912)帝国劇場歌劇部のオペラ指導者として来日し,「蝶々夫人」「魔笛」などの日本初演をおこなう。赤坂ローヤル館を創立してオペラを興行するが失敗,7年渡米して以後消息不明。門下生に石井漠,高田せい子,田谷力三ら。ローマ出身。

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世界大百科事典(旧版)内のローシーの言及

【バレエ】より

…帝劇では何か新しいものを上演したいと考え,歌劇部を創設した。そしてロンドンからローシーという演出者兼舞踊振付師を迎えた。ローシーは12年来日,直ちに若い歌劇部員の養成に当たった。…

※「ローシー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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