改訂新版 世界大百科事典 「セビリャ」の意味・わかりやすい解説
セビリャ
Sevilla
スペイン南部,アンダルシア地方の同名県の県都。人口68万6853(2001)。グアダルキビル河岸にあるアンダルシア最大の都市で,同国で唯一の内陸港をもち,同地方の商工業と文化の中心地である。また県下の農産物の大市場で,関連産業としてオリーブ油,ビール,タバコの製造業があり,化学,繊維,航空機,農機具などの近代的工業も発達している。スペイン南部の観光の中心地でもあり,セビリャ港に立つアラブの遺産である黄金の塔(13世紀),アルカサル(王宮),旧市街にそびえる高さ98mのヒラルダの塔,その下にはヨーロッパで3番目に大きなゴシックの大聖堂(15世紀)がある。4月のセビリャの祭りには,フラメンコの祭典,闘牛が開催される。
セビリャの起源は古く,伝説上ヘラクレスが建設者とされ,また古代タルテソス王国の首都とも考えられている。しかし,都市建設はイベリア半島がローマ化された時代に始まる。前1世紀にカエサルが〈ヒスパリスHispalis〉と命名し,ローマの自治都市となった。豊かな農業経済に支えられたヒスパリスは,オリーブをローマに輸出し,バエティカ州の主都コルドバに次いで繁栄し,ヒスパニアの小ローマといわれた。カエサルはセビリャに滞在したことがあった。ローマ時代以後,バンダル族やスエビ族の支配を経て,西ゴート王国成立当初(441)その首都であった。8世紀にイスラム勢力に征服されたが,カリフ朝(後ウマイヤ朝)王国の首都コルドバと経済的繁栄を競った。都市経済は,おもに豊富な農産物(小麦,オリーブ)とサボンソウによるセッケン製造に基づいていた。カリフ朝王国が11世紀初めにタイファ王国という小侯国群に分裂割拠すると,セビリャを首都として現れたタイファは周辺のタイファを吸収し,セビリャ王国(1023-93)を築いた。12世紀,北アフリカに勢力をもっていたイスラム教徒の一派アルモアーデ族がスペイン南部を制圧し,アルモアーデ帝国(ムワッヒド朝)を築くが,イスラム都市セビリャの経済的繁栄は13世紀に頂点に達する。1248年カスティリャのフェルナンド3世はセビリャを奪回したが,以後もセビリャの重要性は続く。新大陸発見を契機に,1503年通商院が設置され,セビリャは植民地貿易を独占した。タバコ工場が建設され,新大陸の金銀はセビリャ造幣局で鋳造された。
16世紀スペイン最大の商業都市に発展したセビリャは,スペイン黄金世紀の文化の中心でもあった。セビリャ大学,インド文書館,コロンブス図書館が建設された。大航海時代の立役者マゼランやベスプッチはセビリャ港から航海に出た。都市の繁栄は17世紀を通じて続くが,ブルボン王朝の改革で貿易特権が廃止され,通商院は1717年にカディスに移された。以後,セビリャはアンダルシア地方の行政・文化の中心に比重を移す。また,19世紀初頭のナポレオン軍の侵入に対して,市民は勇敢に戦い,〈英雄的都市〉の名誉を得た。1868年の九月革命でも,カディスとともにセビリャは重要な役割を果たした。
19世紀後半期,農産物の大市場と関連産業の形成によって人口が急増し,大都市化する。1928年グアダルキビル川の改修工事で海上貿易が再開され,29年同市で開催されたイベロ・アメリカ博覧会は,後の経済発展の助けとなった。36年7月18日に始まるスペイン内戦では,セビリャはその日のうちに反乱軍のケイポ・デ・リャノ将軍によって制圧され,反乱軍の重要な拠点となった。アンダルシア地方主義運動の祖ブラス・インファンテは,厳しい弾圧をうけてナショナリストによって暗殺された。
執筆者:岡住 正秀
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報