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ローマ法の継受 ローマほうのけいじゅ

世界大百科事典 第2版の解説

ローマほうのけいじゅ【ローマ法の継受】

中世後期ないし近世初頭の大陸ヨーロッパにおける学識法(ローマ法)の普及,その浸透と同化の過程をいうが,この概念の用いられ方には変遷がある。 元来は17,18世紀ドイツ法学の法源論の分野における概念であり,ローマ法は皇帝ロタール3世(フォン・ズプリンブルク)が帝国法をもって公式にドイツに導入したとする伝説がH.コンリングの手で打ちこわされて以来,ドイツにおけるローマ法の通用力を説明するために,ローマ法はその全体が――《標準注釈》によって解説を付されているかぎり――裁判所の〈慣用によって継受されたusu receptum〉とする理論が立てられたことに由来する。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ローマ法の継受
ろーまほうのけいじゅ

ドイツを中心に行われたローマ法の採用をいう。通常次のように三期に区分して説明される。〔1〕中世初期のゲルマン部族法におけるローマ卑俗法の継受(早期継受)、〔2〕15~16世紀の中世イタリアの普通法(注釈学派、後期注釈学派によって加工されたローマ法)の継受(本継受)、〔3〕19世紀のパンデクテン法学によるローマ法(ディゲスタ)の継受(後期継受)である。とくに重要なのは本継受で、これは、世界ローマ理念、すなわち古代文化へのあこがれと中世の帝国がローマ帝国を承認したものとする考え方に基づき、法学者(学識法曹)がユスティニアヌス法典を「書かれた理性」ratio scriptaとみて、法的問題解決の最終的よりどころとしたことにある。当時のドイツでは中央権力の弱さから法の統一を果たすことができず、イタリアで学んだ聖職者や法学者の法的知識を頼りとし、1495年の帝室裁判所条例では陪席員の半数を学識法曹から任命するに至り、また各領邦国家も学識法曹を重用したので、しだいにローマ法(普通法)が浸透した。このような法は古くからの農民の慣習法と鋭く対立したので、ドイツ農民戦争(1524~25)の重大な原因となった。
 ローマ法は、このようにドイツばかりでなく、オランダやスコットランドでも受け継がれた。19世紀のパンデクテン法学ではローマ法を素材として近代法典の編纂(へんさん)を主張してゲルマン法学者と鋭い対立を示した。今日、イタリア普通法はヨーロッパの共通法であるという認識にたち、ヨーロッパ各地の法の比較研究が重要な課題となっている。[佐藤篤士]
『ウィアッカー著、鈴木録弥訳『近世私法史』(1961・創文社) ▽F・H・ローソン著、小堀憲助他訳『英米法とヨーロッパ大陸法』(1971・中央大学出版部) ▽コーイング著、佐々木有司訳『ヨーロッパ法史論』(1980・創文社) ▽ウィノグラドフ著、矢田一男他訳『中世ヨーロッパにおけるローマ法』(1967・中央大学出版部)』

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