大学事典 「法学教育」の解説
法学教育
ほうがくきょういく
[歴史]
日本における法律学は,明治維新期における外国法の継受に始まった。したがって法学教育も外国法教育から始まった。フランス法,英米法,ドイツ法がその候補であった。フランス法は,司法省明法寮(のち司法省法学校,さらに東京法学校となる)で教えられた。これは,1804年に制定されたナポレオン法典が世界の民法典に甚大な反響を与え,フランス法は当時,最もすぐれた近代法制のモデルとされたからである。明法寮での教育はもっぱらボアソナードらフランス人教師の手で行われ,フランス語による教育が行われた。他方,東京開成学校は英米法を選択した。それは主として英語の方が用いやすかったからとされる。同校は東京大学の法学部となり,1885年(明治18)東京法学校を併合した。その頃,明治政府がプロイセンをモデルとする国家体制を指向したことを背景に,当時の大学綜理加藤弘之と,イギリスからドイツに転学して帰国した穂積陳重との二人が転換の担い手となり,東京大学ではドイツ法が法学教育の中心となっていった。
外国人教師により,外国語で行われる教育は「正則」,日本人教師が日本語で行うそれは「変則」とされた。この時点で,高額の俸給を要する外国人教師を雇う余裕のない私立法律学校が一段格の低い高等教育機関とみられたことは否めない。しかし,『明治大学五十年史』によれば,「在来,法学の講義なるものは,恰も漢籍の講義の如く一定の洋書を講読せしに過ぎ」なかったのに対して,明治法律学校での日本人教師による講義は「その形を全く破り,講師は学説及び判例等を咀嚼し,其れ自らの説として講義を行った」とされている。
ドイツ流概念法学を学んだ末弘厳太郎は,第1次世界大戦により当初予定していたドイツを断念しアメリカ合衆国に留学した。そこで学んだ法社会学の成果を法解釈学に持ち込み,実生活に内在する「生きた法」と国家の制定した「法律」を区別し,判例こそ「生きた法」であるとした。判決の前提となった事実を詳細に調査し,従前あった判決との関係を調べて法の具体的変遷を明らかにするという手法は学界に大きな衝撃を与えた。しかし彼が専攻する民法はまだしも判例の蓄積があったが,戦前の憲法は裁判で争われることもなく,憲法学は「てっとり早い対象として憲法典をとりあげ,それに主観的な,あるいはせいぜい形式論理的な一貫性をもつ註釈を加えれば,それでおしまい」(長谷川正安『憲法学の方法』)とさえ評された。しかし第2次世界大戦後は違憲審査制が導入され,憲法判例も蓄積されている。
[内容と目的]
法学部で教えられる主要な法律あるいは法律群には憲法,行政法,民法,刑法,商法,労働法,社会保障法,独占禁止法(独禁法),民事訴訟法,刑事訴訟法,国際法などがある。国家と国民の関係を定める法律を公法といい,憲法や行政法がそれに当たる。私人間の法律関係を扱う法律を私法といい,民法や商法がそれに当たる。刑法は犯罪とそれに対する刑罰を規律する法である。戦後はこれに加え,憲法25~28条を具体化した社会法と呼ばれる法分野が登場した。労働法,社会保障法などである。さらに経済法としては独禁法などがある。これらを総称して実体法というが,それに対し訴訟法は,実体法を具体的事件の中で適用し事件を解決する手続きを定めた法である。また国家間の関係や,国境を越えた私人間の紛争を扱うのが国際法である。こうした法の基礎にある考え方を研究教育する科目として法哲学,法社会学,法制史,比較(外国)法などがある。
戦後は,日本国憲法が英米法の強い影響を受けていることもあり,外国法研究はアメリカ法が中心となっている。しかし日本においても,一定の歴史のなかで法律,法制度が整備され,判例も蓄積されてきた。それ故,法学教育は日本の法に関する判例,学説の解説を中心に行われ,外国法は参考にされるに過ぎない。
そこで行われる法学教育の目的は,当事者の権利,義務を明らかにすることに帰着する。たとえば,いじめで自殺した生徒がいるとする。非法律家であれば「こんなことがあっていいの,悲しいね」とか,加害者に対し,「そんなことをするのは悪い奴だよね」という感想を持つだろう。しかし法律家はそこにとどまらず,次のように考える。いじめ加害者Aは刑法をはじめとする刑事法に反しているだろうか。反しているとすれば,警察はAを逮捕すべきだろうか,裁判で有罪となるだろうか。また,被害者の遺族は誰に対して損害賠償の訴えの権利を有するだろうか,とも考えるであろう。
このように,法律家のように考えるということは,事実状況からはじまり,ある過程を経て,当該状況の当事者の権利と義務についての結論にたどり着く,ということを本質的に必要とする。ある過程とは,①憲法・法律を精査し,判例を調べ,この事実状況に当てはめるべきルールの構造を明らかにし,②入手可能な事実を丹念に調べ,③この事実にルールの構造を当てはめることである。法学教育はこうした思考法(リーガルマインド)を身に付けさせることを志向している。
著者: 中富公一
参考文献: 天野郁夫『近代日本高等教育研究』玉川大学出版部,1989.
参考文献: Kenneth J. Vandevelde, Thinking Like a Lawyer: An Introduction to Legal Reasoning, Westview Press, 1996.
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報