一心院
いつしんいん
[現在地名]東山区林下町
華頂山の麓、知恩院の勢至堂・法然廟堂の南に位置。山号群仙山、浄土宗捨世派本寺。本尊はもと青蓮院護摩堂(現東山区)に安置されていたという阿弥陀如来で、寺伝に安阿弥作という。そのほか両大師坐像・開山称念上人像を安置。
開基の称念は武蔵国品川郷(現東京都品川区)の人で、八歳にして江戸増上寺(現同港区)親誉について剃髪、のち下総飯沼(現千葉県銚子市)弘経寺鎮誉に師事し、浄土一乗大戒を受け、以降、もっぱら念仏を修した。上洛して黒谷(現京都市左京区)に入り、青蓮院尊鎮親王の帰依を受けて寺域を賜り庵を結んだ。六時念仏するに信徒参集し、いくばくもなく仏殿僧房がなったという。すなわちこれが一心院の草創である(称念上人行状記・和漢三才図会)。称念は天文二二年(一五五三)知恩院御影堂(現勢至堂)を依所とし、毎月二四日夜不断念仏の行を始めたが、翌年一心院で没した。
一心院
いつしんいん
[現在地名]大館市谷地町 後
谷地町の西にある。浄土宗で起行山と号し、本尊は阿弥陀如来。下野国大沢山円通寺派。江戸初期、常州那珂郡小場より移転という(大館旧記)。天和三年(一六八三)知行三〇石余、享保一六年(一七三一)では一八石(「御判紙写帳」県立秋田図書館蔵)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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