改訂新版 世界大百科事典 「一立斎文車」の意味・わかりやすい解説 一立斎文車 (いちりゅうさいぶんしゃ) 幕末の講釈師。生没年,本名不詳。豆腐屋を営んでいたことから〈豆腐屋文車〉とも呼ばれた。師匠がなく一本立ちしたことからこの名があり,世話物が好まれだした時流にのり,八丁荒しの人気を得た。2代目(1832?-81)は,高座の小手がきいたことから〈巾着切文車〉と呼ばれ《藪原検校》や《掛川無宿の源太》などに長じ,博識ぶりでも有名。3代目(1847?-1917)は本名春日岩吉。《西遊記》を得意にし,にぎやかな高座で知られた。執筆者:矢野 誠一 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
新撰 芸能人物事典 明治~平成 「一立斎文車」の解説 一立斎 文車(3代目)イチリュウサイ ブンシャ 職業講談師 本名春日 岩吉 生年月日嘉永1年 出身地江戸(東京都) 経歴「西遊記」を得意にし、にぎやかな高座で知られた。 没年月日大正6年 8月11日 (1917年) 出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「一立斎文車」の解説 一立斎文車(初代) いちりゅうさい-ぶんしゃ ?-1862 幕末の講談師。師匠につかずに一本立ちして一立斎と称した。豆腐(とうふ)屋から転じたといわれ,世話物を得意とした。その得意の読み物から2代松林伯円の泥棒伯円に対し巾着切り文車とよばれ,江戸の人気を二分した。文久2年9月16日死去。姓は田中。 一立斎文車(3代) いちりゅうさい-ぶんしゃ 1848-1917 明治-大正時代の講談師。嘉永(かえい)元年生まれ。2代文車に入門。文玉,文晁をへて3代を襲名。張扇をたたくにぎやかな高座でガチャ文とよばれた。大正6年8月11日死去。70歳。江戸出身。本名は春日岩吉。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by