日本歴史地名大系 「三宮飯縄神社」の解説 三宮飯縄神社さんのみやいいつなじんじや 山梨県:南巨摩郡身延町下山村三宮飯縄神社[現在地名]身延町下山二宮下賀茂神社の南東に鎮座する。祭神は倉稲魂命。旧村社。下山(しもやま)三宮を称する。「甲斐国志」には飯綱明神とみえ、「三ノ宮ト称ス」とあるが、慶応四年(一八六八)に三宮神主が提出した明細由緒書(社記)には三宮飯縄大明神と記される。勧請の時期は不明だが、一宮・二宮と同じく南部(なんぶ)(現南部町)から居館を下山に移した穴山信友か、それ以後の穴山氏の当主による勧請と考えられる。当社を鎮守とする新(しん)町は、穴山信友・信君・勝千代三代によって整備された城下町の名残である(甲斐国志)。元亀元年(一五七〇)一二月一〇日付の穴山信君判物(一宮賀茂神社文書)によると、穴山氏による検地の結果、古屋敷(ふるやしき)の塚畠六貫文のうち三貫文が踏出分として検出され、信君はそれを改めて「飯縄」の祭礼の費用に充てるための祭免として寄進している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by