日本大百科全書(ニッポニカ) 「三波川帯」の意味・わかりやすい解説
三波川帯
さんばがわたい
日本の地体構造区分上、西南日本外帯および関東山地における区分名の一つ。関東山地から、赤石山脈、紀伊半島、四国、九州東部の佐賀関(さがのせき)半島まで、中央構造線に接して南側に、5キロメートルから30キロメートルの幅で、延長800キロメートルにわたって帯状に分布する。「三波川」は群馬県を流れる神流川(かんながわ)支流の川名に由来する。
三波川帯には、低温高圧型(高圧中間群)の変成作用を受けた緑色片岩、珪質(けいしつ)片岩、泥質片岩、砂質片岩などが分布するため、三波川変成帯とよばれることも多い。三波川帯は上記の変成岩が分布する主部と、御荷鉾(みかぶ)緑色岩類が分布する南縁部とに分けられる。主部の変成岩の原岩はそれぞれ、玄武岩質火山岩類、チャート、泥岩、砂岩であり、付加堆積(たいせき)物と考えられる。これらの付加堆積物が沈み込みによって地下深部までもたらされ、のちに変成した。原岩の時代は、秩父(ちちぶ)帯の地層と対比して、古生代ペルム紀から中生代ジュラ紀と考えられているが、主部から化石の報告はない。
変成度は、泥質片岩中の変成鉱物の研究により、低いほうから、緑泥石帯、ざくろ石帯、黒雲母(うんも)帯に分けられており、高変成度のものが、より北側に分布している。ただし、のちにナップ構造が形成されたので、中央部にも高変成度の部分が存在する。
三波川帯南縁部の御荷鉾緑色岩類分布域には、凝灰角礫(ぎょうかいかくれき)岩、斑糲(はんれい)岩、チャート、石灰岩などが分布し、主部に比べて変成度は弱い。南縁部の石灰岩やチャートは秩父帯北帯のものと同じでジュラ紀付加堆積物であり、中生代三畳紀のコノドントやジュラ紀の放散虫が発見されている。
2010年前後に、三波川帯の変成岩類のうち、見かけ上、下位の半分の原岩は、砂質片岩中の砕屑(さいせつ)粒子であるジルコンのウラン‐鉛年代から白亜紀後期に堆積したことが明らかになった。この堆積年代は、南側の四万十(しまんと)帯の白亜紀付加堆積物と同じ年代であることから、三波川変成岩類とされたもののうち下位半分もしくはそれ以上の部分の原岩は、四万十付加コンプレックスの北方延長部である可能性が高い。
[村田明広]