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中央構造線 ちゅうおうこうぞうせんMedian tectonic line

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

中央構造線
ちゅうおうこうぞうせん
Median tectonic line

フォッサ・マグナ以西の西南日本内帯外帯に分ける大断層線。ドイツ人 E.ナウマンフォッサ・マグナとともに指摘した。北東端は諏訪湖南方でフォッサ・マグナの西縁,糸魚川-静岡構造線で切られ,赤石山脈西縁-紀伊半島北部-四国北部-九州と続いている。九州では不明瞭であるが,ほかの地域ではほとんど直線状の明瞭な線を示し,愛知の豊川,和歌山の紀ノ川,四国の吉野川の谷の方向を決定し,付近山地の地質の方向性,帯状性を規定している。白亜紀から現在まで,強さ,運動方向を変えながら活動し,垂直運動や水平運動 (断層作用) などに変化がみられる。たとえば四国では,これを横断する橋が 30年間に 56cm短くなったり,地下ケーブルの断線など,人工物にも影響している。 (→西南日本内帯 , 西南日本外帯 )  

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知恵蔵の解説

中央構造線

西南日本の花崗岩片麻岩を主とする領家変成帯と、結晶片岩を主とする三波川変成帯を境とする大断層。九州中部から、四国・紀伊半島北部を経て、赤石山地西縁から北上し、関東山地に達する。これを境に、西南日本の北側を内帯、南側すなわち太平洋側を外帯と呼ぶ。白亜紀中期にでき、左ずれ運動をしてきたが、第四紀後期には1年に1cmほどの速さの右ずれ運動に変わった。これは、フィリピン海プレートが南海トラフで斜めに沈み込んでいて、外帯が西方向に引きずられるため。

(斎藤靖二 神奈川県立生命の星・地球博物館館長 / 2007年)

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

中央構造線

関東平野から群馬、長野、和歌山、徳島県などを経て九州まで続く全長1千キロ以上の大断層。県内の延長は約140キロで、茅野市―静岡県境の青崩峠の約90キロで地表に露出している。このうち大鹿村内の構造線は25キロほどになる。中央構造線では、白亜紀の約1億年前にできた領家変成帯(日本海側)と、三波川変成帯(太平洋側)が接し、両側は全く別な地質。領家は内陸側で、プレート(岩板)の沈み込みに伴う熱いマグマの上昇による高温低圧の変成作用を受けた岩石。これに対し三波川は海溝側で、冷たい海洋プレートの沈み込みによる低温高圧の変成作用を受けた岩石からなる。白亜紀に二つの変成帯の間で横ずれの断層運動が発生。これによる移動距離は最大2千キロという推定もある。

(2010-01-21 朝日新聞 朝刊 長野全県 2地方)

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デジタル大辞泉の解説

ちゅうおう‐こうぞうせん〔チユウアウコウザウセン〕【中央構造線】

西南日本を内帯(日本海側)と外帯(太平洋側)とに分ける大断層。長野県の諏訪湖付近から天竜川の東を通って愛知県豊川の谷に入り、紀伊半島・四国を縦断して九州の八代に達する。メディアンラインMTL(median tectonic line)。→中央構造線断層帯

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百科事典マイペディアの解説

中央構造線【ちゅうおうこうぞうせん】

長野県茅野市南方の杖突峠から赤石山脈の西縁に近い高遠を通って南へ走り,天竜峡から豊川へと次第に向きを変え,伊勢・和歌山・徳島・伊予三島・松山南方・大分南方を経て八代に至る日本一大規模な断層線。
→関連項目伊方原発櫛田川佐川造山運動地質構造線日本領家変成岩

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世界大百科事典 第2版の解説

ちゅうおうこうぞうせん【中央構造線 Median Tectonic Line】

西南日本の内帯(北側)と外帯(南側)の境界をなす大断層。E.ナウマンがGrosse Medianspalteと命名(1893)したのにはじまる。この断層は熊本県八代(やつしろ)付近から大分県の佐賀関半島の北側をへて,四国の吉野川を通り,紀伊半島を紀ノ川に沿って横断し,伊勢から渥美半島に渡り,赤石山脈の西に沿って北北東に中部地方に向かい長野県諏訪湖付近に達して,その後は糸魚(いとい)川‐静岡構造線に切られて北方へ転位,東方延長は関東地方まで追跡される。

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大辞林 第三版の解説

ちゅうおうこうぞうせん【中央構造線】

西南日本を内帯と外帯とに分ける大規模な断層帯。諏訪湖の西から天竜川の東を通り、豊川の谷に沿って紀伊半島に入り、四国を経て九州に至る。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

中央構造線
ちゅうおうこうぞうせん

西南日本の内帯と外帯とを分ける断層。諏訪湖(すわこ)南方から、赤石山脈西方、紀伊半島、四国を経て、九州西部八代(やつしろ)まで達する。北側の領家(りょうけ)変成岩類や花崗(かこう)岩類、上部白亜系和泉(いずみ)層群と、南側の三波川(さんばがわ)変成岩類との間に位置する。中央構造線の命名は1885年(明治18)E・ナウマンによる。中央構造線は単一の断層ではなく、それに沿っていくつかの異なる時期に異なる動きの断層運動がおこったことが知られている。
 中央構造線は和泉層群堆積(たいせき)前のおそらく白亜紀中期にその形成が始まったと考えられ、この時期に領家変成岩類や花崗岩類が衝上(しょうじょう)断層に沿って南側の三波川変成岩類の上に移動した。この断層運動の時期を1941年(昭和16)に小林貞一(ていいち)(1901―1996)は鹿塩(かしお)時階と命名した。鹿塩時階は、マイロナイト(断層岩の一種)形成を伴う断層運動の時期であり、鹿塩は長野県大鹿村にある地名で、鹿塩時階の名はこの地に鹿塩マイロナイトと名付けられた花崗岩起源のマイロナイトが分布することにちなんでいる。なお、鹿塩マイロナイトの形成時期は、以前は白亜紀中期と考えられていたが、現在では白亜紀後期と考えられている。さらに和泉層群堆積後、北側が下降する正断層運動で特徴づけられる市ノ川時階、三波川変成岩類の北方へ向かう衝上運動の砥部(とべ)時階、和泉層群が第四系の上へ衝上する菖蒲谷(しょうぶだに)時階の運動が知られている。
 1970年代までは、上記のような中央構造線の上下方向の運動がとくに注目されていたが、1980年代以降、横ずれ運動が重要であることが明らかになってきた。和泉層群堆積時の最後期白亜紀には大規模な左横ずれ運動がおこり、細長い堆積盆内で堆積場の中心が西から東へと移動したことが知られている。この時期の左横ずれ変位量は数百キロメートル以上である可能性が指摘されている。また、古第三紀にも左横ずれ運動がおこったとされている。四国から近畿西部にかけての地域では、第四紀に右横ずれ運動がおこったことが明らかにされ、中央構造線活断層系(あるいは中央構造線断層帯)として父尾断層・池田断層(徳島県)、岡村断層・伊予灘(いよなだ)東部断層・伊予灘西部断層(愛媛県)などの多くの活断層が知られている。父尾断層の活動は、右横ずれであると同時に、北側の和泉層群が、三波川変成岩類を不整合で覆う第四紀堆積物に対して衝上しており、逆断層成分をもつ右横ずれ断層となっている。この断層は横ずれ圧縮の場で形成されたと考えられる。中央構造線活断層系の30年確率(30年以内に地震が発生する確率)は、四国ではほぼ0から最大で0.3%であるが、紀伊半島西部では0.06~14%と高くなっている。
 1990年代以降、近畿西部や四国東部では、中央構造線が30度程度の北傾斜であることが、反射法地震探査で明らかになってきた。この付近の中央構造線は、吉野川の中・下流域、紀ノ川流域などの直線的な谷地形としてよく現れており、人工衛星からの写真でも明瞭(めいりょう)に認められる。フォッサマグナ以東の関東では三波川帯の北縁を通り、また東北日本では阿武隈(あぶくま)帯の東側を通ると推定されている。[村田明広]
『杉山隆二著『中央構造線』(1973・東海大学出版会) ▽山下昇編著『フォッサマグナ』(1995・東海大学出版会) ▽後藤秀昭・中田高著『四国の中央構造線活断層系』(2000・広島大学総合地誌研究資料センター) ▽愛媛県編・刊『中央構造線断層帯に関する調査成果報告書』(2000) ▽愛媛県編・刊『愛媛県活断層調査報告書概要集』(2001)』

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