三矢 重松
ミツヤ シゲマツ
明治・大正期の国語学者
- 生年
- 明治4年11月29日(1872年)
- 没年
- 大正12(1923)年7月17日
- 出生地
- 山形県鶴岡
- 学歴〔年〕
- 国学院大学〔明治26年〕卒
- 学位〔年〕
- 文学博士
- 経歴
- 文部省図書課、私立開成中学、岡山県高梁中学、大阪府天王寺中学に勤めたのち、明治32年より清国留学生教育に従事。のち東京高師教授、国学院大学教授を務めた。著書に「高等日本文法」「作歌と助辞」「文法論と国語学」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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三矢重松
みつやしげまつ
(1871―1923)
国語学者。山形県生まれ。国学院大学卒業。中国人留学生教育などに携わったのち、国学院大学教授。その著『高等日本文法』(1908)は修辞・解釈のためと自序したとおり、実用文法を目ざした規範的文法書。口語・文語を比較参照しながら説き、各説とも豊富な用例を引く。没後、門人安田喜代門(やすだきよもん)(1896―1980)により遺稿などが整理され、『文法論と国語学』『国語の新研究』『国文学の新研究』として出版された。
[清水康行 2018年10月19日]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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三矢重松 みつや-しげまつ
1872*-1923 明治-大正時代の国文学者。
明治4年11月29日生まれ。嘉納治五郎の亦楽書院などでおしえ,のち東京高師,国学院大の教授。「国学院雑誌」を編集,また源氏物語全講会をつづけて国文学の普及をはかった。郷里山形県庄内地方の育英事業にも尽力。大正12年7月17日死去。53歳。国学院卒。著作に「高等日本文法」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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三矢 重松 (みつや しげまつ)
生年月日:1871年11月29日
明治時代;大正時代の国語学者。国学院大学教授
1923年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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