三笑亭可楽(読み)サンショウテイカラク

デジタル大辞泉 「三笑亭可楽」の意味・読み・例文・類語

さんしょうてい‐からく〔サンセウテイ‐〕【三笑亭可楽】

[1777~1833]江戸後期の落語家。江戸の生まれ。俗称、京屋又三郎。三笑派の祖。江戸で初めて寄席興行を行い、また三題噺さんだいばなし創始した。

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精選版 日本国語大辞典 「三笑亭可楽」の意味・読み・例文・類語

さんしょうてい‐からく【三笑亭可楽】

  1. 初世。江戸後期の落語家。江戸馬喰町の生まれ。俗称京屋又三郎。櫛職人から落語家に転じた。三題噺創始者、また江戸席亭の開祖とされる。著書に「可楽日記」「東都真衛(えどまえ)」など。安永六~天保四年(一七七七‐一八三三

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「三笑亭可楽」の意味・わかりやすい解説

三笑亭可楽
さんしょうていからく

落語家。

初代

(1777―1833)もと江戸・馬喰町(ばくろちょう)の櫛(くし)工で、素人(しろうと)落語家として山生亭花楽と名のり、友人と開いた寄席(よせ)興行に失敗。職業落語家になって三笑亭可楽と改名し、三題噺(さんだいばなし)で人気を得た。寄席興行の基を開き、多数の門弟を育成した。『山(さん)しょ味噌(みそ)』『東都真衛(えどまえ)』など十数部の噺本を残した。以後、2代(?―1847)は初代門人芝楽(しばらく)が初代翁家(おきなや)さん馬から、3代(?―1857)は2代さん馬が、4代(?―1869)は5代さん馬が、5代(生没年不詳)は4代門人が芝楽から、そして6代(?―1924)はさん馬から、それぞれ襲名した。

[関山和夫]

7代

(1886―1944)本名玉井長之助。初め2代柳亭燕枝(りゅうていえんし)門であったが、のち5代柳亭左楽(さらく)門に移り、小左楽、滝亭鯉昇(りゅうていりしょう)を経て1926年(大正15)7代目襲名。3代柳家小さんを尊敬し、『笠碁(かさご)』『にらみ返し』『猫久(ねこきゅう)』などを得意とした。俗に「玉井の可楽」という。

[関山和夫]

8代

(1898―1964)本名麹地(きくち)元吉。初代三遊亭円右(えんう)門下から7代さん馬、6代春風亭柳枝(りゅうし)、5代左楽の門下に移り、小柳枝から1946年(昭和21)8代目襲名。『今戸焼(いまどやき)』『らくだ』『親子酒』『にらみ返し』などを得意とした。

[関山和夫]

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「三笑亭可楽」の解説

三笑亭 可楽(8代目)
サンショウテイ カラク


職業
落語家

本名
麹地 元吉

別名
前名=三遊亭 右喜松,三遊亭 三橋,翁家 さん生,翁家 馬之助,春風亭 さん枝,春風亭 柳楽,春風亭 小柳枝(6代目)

生年月日
明治31年 1月3日

出生地
東京・下谷黒門町

経歴
経師屋の長男だが、道楽者で、大正4年5代目古今亭志ん生に誘われて落語家になった。同年初代三遊亭円右の門に入り、右喜松を名乗る。13年春風亭柳楽と改名、真打ちに昇進。長い不遇の時代を経て、昭和15年6代目小柳枝を襲名、21年8代目三笑亭可楽を襲名。ぼやき口調の独特の語りと江戸前の雰囲気で玄人好みだった。得意は「らくだ」「富久」「今戸焼」など。

没年月日
昭和39年 8月23日 (1964年)

伝記
談志絶倒 昭和落語家伝落語―知れば知るほど哲学的落語家!ぼくの落語ある記寄席紳士録落語家の居場所―わが愛する芸人たち落語名人伝さらば、愛しき芸人たち落語長屋の知恵寄席放浪記―なつかしい芸人たち 立川 談志 著,田島 謹之助 写真橘 左近 著平岡 正明 著八木 忠栄 著安藤 鶴夫 著矢野 誠一 著関山 和夫 著矢野 誠一 著矢野 誠一 著色川 武大 著(発行元 大和書房実業之日本社筑摩書房新書館平凡社日本経済新聞社白水社文芸春秋青蛙房廣済堂出版 ’07’07’05’03’00’97’92’89’86’86発行)


三笑亭 可楽(7代目)
サンショウテイ カラク


職業
落語家

本名
玉井 長之助

別名
前名=談洲楼 燕福,談洲楼 燕玉,柳亭 伝枝,桂 才賀,桂 文鶴,春亭 文枝,柳亭 小左楽,滝亭 鯉昇

生年月日
明治19年 1月31日

出生地
東京市 京橋区(東京都日本橋区)

経歴
11歳で銀座の時計屋に奉公する傍ら、銀座の店員仲間と笑花連という一座を作り、商家の座敷で無料出演していた。時計屋がつぶれたのを機に、2代目談洲楼燕枝に入門、燕福、燕玉を名乗る。明治44年柳亭伝枝、大正3年桂才賀、7年5月桂文鶴、12月春亭文枝と改名し、11年5代目柳亭左楽門下に移って柳亭小左楽。15年滝亭鯉昇を経て、同年末に7代目三笑亭可楽を襲名した。尊敬した3代目柳家小さんの演目を多く手がけ、昭和13年から評論家の安藤鶴夫が“可楽を聴く会”を主宰した。19年2階の梯子段から転落、3日後に亡くなった。本名の玉井長之助から“玉井の可楽”と呼ばれ、俳句をよくした。

没年月日
昭和19年 4月12日 (1944年)

伝記
落語家―いま、むかし 興津 要 著(発行元 旺文社 ’87発行)


三笑亭 可楽(6代目)
サンショウテイ カラク


職業
落語家

本名
中村 勘三郎

生年月日
弘化3年 9月15日

経歴
6代目桂文治の門下で桂文鶴を名乗り、明治17年6代目翁家三馬を襲名。道具入り芝居噺に新境地を開き、一時は人気をとった。大正2年6代目三笑亭可楽を襲名。6年に創設された睦会の主要メンバーだった。9年引退。

没年月日
大正13年 8月18日 (1924年)


三笑亭 可楽(5代目)
サンショウテイ カラク


職業
落語家

本名
平田 芳五郎

経歴
初め中橋連で芳丸を名乗る。のち4代目三笑亭可楽の門に入り、三笑亭芝楽で初高座。三遊連で活躍し、明治22年5代目三笑亭可楽を襲名。主に人情噺を得意とし、特に「清元延寿太夫」は十八番の一つだった。25年引退。

没年月日
(生没年不詳)

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20世紀日本人名事典 「三笑亭可楽」の解説

三笑亭 可楽(8代目)
サンショウテイ カラク

大正・昭和期の落語家



生年
明治31(1898)年1月3日

没年
昭和39(1964)年8月23日

出生地
東京・下谷黒門町

本名
麴地 元吉

別名
前名=三遊亭 右喜松,三遊亭 三橋,翁家 さん生,翁家 馬之助,春風亭 さん枝,春風亭 柳楽,春風亭 小柳枝(6代目)

経歴
経師屋の長男だが、道楽者で、大正4年5代目古今亭志ん生に誘われて落語家になった。同年初代三遊亭円右の門に入り、右喜松を名のる。13年春風亭柳楽と改名、真打ちに昇進。長い不遇の時代を経て、昭和15年6代目小柳枝を襲名、21年8代目三笑亭可楽を襲名。ぼやき口調の独特の語りと江戸前の雰囲気で玄人好みだった。得意は「らくだ」「富久」「今戸焼」など。


三笑亭 可楽(7代目)
サンショウテイ カラク

大正・昭和期の落語家



生年
明治18(1885)年

没年
昭和19(1944)年4月12日

出生地
東京・京橋

本名
玉井 長之助

別名
前名=桂 才賀,桂 文枝,柳亭 小左楽,滝亭 鯉昇,談州楼 燕玉

経歴
名人といわれた3代目柳家小さんを尊敬し、銀座の時計屋の小僧から落語家になった。大正15年に7代目可楽を襲名、小さん系の演目を多く手がけた。俳句をよくし「さりながら死にたくもなし年の暮」などの句を残し、2階から転落死した。


三笑亭 可楽(6代目)
サンショウテイ カラク

明治・大正期の落語家



生年
弘化3年9月15日(1846年)

没年
大正13(1924)年8月18日

本名
中村 勘三郎

経歴
6代目桂文治の門下で桂文鶴を名乗り、明治17年6代目翁家三馬を襲名。道具入り芝居噺に新境地を開き、一時は人気をとった。大正2年6代目三笑亭可楽を襲名。6年に創設された睦会の主要メンバーだった。9年引退。

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改訂新版 世界大百科事典 「三笑亭可楽」の意味・わかりやすい解説

三笑亭可楽 (さんしょうていからく)

落語家。(1)初代(1777-1832・安永6-天保3) 寄席創始期に多くの門下を養成し,江戸落語の興隆に寄与した。三題噺(さんだいばなし)の祖といわれ,彼の手になる十数部の噺本がある。(2)7代(1886-1944・明治19-昭和19) 本名玉井長之助。2代談洲楼燕枝門下。3代柳家小さんに傾倒してその演目の多くを継承しており,《猫久》《笠碁》などの噺を得意とした。(3)8代(1897-1964・明治30-昭和39) 本名麴地(きくち)元吉。初代円右,8代桂文治などに師事し,《らくだ》《今戸焼》を得意とした。
執筆者:

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朝日日本歴史人物事典 「三笑亭可楽」の解説

三笑亭可楽(初代)

没年:天保4.3.8(1833.4.27)
生年:安永6(1777)
江戸後期の落語家。通称京屋又五郎。江戸に生まれ,櫛職人となる。寛政10(1798)年,大坂より下った岡本万作の寄席興行の影響を受け,山生亭花楽を名乗り興行を打ち,江戸落語家寄席出演の嚆矢となるが,持ちネタが少なく5日で廃し,その後越ケ谷(埼玉県)を振り出しに巡業。松戸(千葉県)で三笑亭可楽と改名。翌々年江戸で咄の会を開き,享和2(1802)年には初の咄本『山しょ味噌』を刊行。頓才に恵まれ,文化1(1804)年には,三題咄(弁慶,辻君,狐)を考案した。落咄を即席にまとめる一分線香即席咄を得意とし,謎解きにも挑戦した。素咄を正座で咄すという上品な芸風で,『新作 種が島』(1811)には門人25名の連名を掲げるが,朝寝坊夢羅久,初代林屋正蔵が著聞。文政7(1824)年には成田山に見事な絵馬を奉納(現存)。浅草今戸潮江院に葬る。名跡は平成4(1992)年に襲名の9代目におよぶ。<参考文献>延広真治『落語はいかにして形成されたか』

(延広真治)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三笑亭可楽」の解説

三笑亭可楽(初代) さんしょうてい-からく

1777-1833 江戸時代後期の落語家。
安永6年生まれ。櫛(くし)職人から修業して落語家となり,江戸の寄席(よせ)落語のさきがけとなる。三題噺(ばなし)を創始,即興噺を得意とした。初代林屋正蔵などおおくの門弟をそだて,落語中興の功労者とされる。天保(てんぽう)4年3月8日死去。57歳。江戸出身。通称は京屋又五郎。初名は山生亭花楽。噺本に「山しょ味噌(みそ)」「東都真衛(えどまえ)」など。

三笑亭可楽(8代) さんしょうてい-からく

1898-1964 大正-昭和時代の落語家。
明治31年1月3日生まれ。大正4年初代三遊亭円右(えんう)に入門。のち7代翁家(おきなや)さん馬の門にうつり,翁家馬之助となって真打。さらに6代春風亭柳枝門下から5代柳亭左楽の門人となり,6代春風亭小柳枝をへて昭和21年8代可楽を襲名。昭和39年8月23日死去。66歳。東京出身。本名は麹地(きくち)元吉。

三笑亭可楽(7代) さんしょうてい-からく

1886-1944 大正-昭和時代前期の落語家。
明治19年1月31日生まれ。2代柳亭燕枝(えんし)に入門,大正5年5代桂才賀で真打。のち5代柳亭左楽の門にうつり,小左楽,滝亭鯉昇(りゅうてい-りしょう)をへて15年7代可楽を襲名。3代柳家小さんに傾倒し,その演目を得意とした。昭和19年4月12日死去。59歳。東京出身。本名は玉井長之助。

三笑亭可楽(6代) さんしょうてい-からく

1846-1924 明治-大正時代の落語家。
弘化(こうか)3年9月15日生まれ。東京の人。6代桂(かつら)文治の門下で,桂文鶴(ぶんかく),6代翁家(おきなや)さん馬をへて,大正2年6代を襲名。人情噺(ばなし)を得意とした。大正13年8月18日死去。79歳。本名は中村勘三郎。

三笑亭可楽(4代) さんしょうてい-からく

?-1869 幕末の落語家。
幕臣の子。福寿庵可録に入門,可重を名のる。2代三笑亭可楽の養子となり,3代朝寝坊むらくをへて4代可楽を襲名。新政府軍に抵抗し,江戸に爆弾をしかけようとして捕らえられ,明治2年9月10日獄死。のちに「爆弾可楽」とよばれた。本名は榊原鎌三郎。

三笑亭可楽(5代) さんしょうてい-からく

?-? 明治時代の落語家。
東京の人。仕立屋から4代三笑亭可楽の門にはいり,三笑亭芝楽(しばらく)を名のり,明治22年(1889)5代を襲名。人情噺(ばなし),音曲噺を得意とした。25年引退。本名は平田芳五郎。

三笑亭可楽(3代) さんしょうてい-からく

?-1857 江戸時代後期の落語家。
司馬竜斎に入門,竜喬を名のる。のち2代三笑亭可楽の門にうつり,2代翁家(おきなや)さん馬をへて安政3年3代可楽を襲名した。安政4年6月4日死去。

三笑亭可楽(2代) さんしょうてい-からく

?-1847 江戸時代後期の落語家。
初代三笑亭可楽に入門,初代翁家(おきなや)さん馬などをへて,2代可楽を襲名。晩年は楽翁を名のる。弘化(こうか)4年9月3日死去。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三笑亭可楽」の意味・わかりやすい解説

三笑亭可楽(7世)
さんしょうていからく[ななせい]

[生]1886.1.31.
[没]1944.4.12.
落語家。本名玉井長之助。2世談洲楼燕枝の門弟。5世桂才賀などを経て 1926年7世可楽となる。3世柳家小さんを崇拝し,その演目を多く継承,いぶし銀の芸と評された。

三笑亭可楽(8世)
さんしょうていからく[はっせい]

[生]1898.1.3. 東京
[没]1964.8.23. 東京
落語家。本名麹地元吉。1世三遊亭円右,8世桂文治,6世春風亭柳枝らの門で修業し,1946年8世可楽となる。江戸前の芸風ながら派手ではなく,滋味のある口調で『今戸焼』『らくだ』などを得意とした。

三笑亭可楽(1世)
さんしょうていからく[いっせい]

[生]安永6(1777)
[没]天保4(1833).3.8.
落語家。櫛 (くし) 職人から落語家に転身。三題噺 (ばなし) を創始。『可楽日記』などの著作もある。

三笑亭可楽(6世)
さんしょうていからく[ろくせい]

[生]弘化3(1846).9.15.
[没]1924.8.18.
落語家。本名中村勘三郎。6世桂文治の門人で,6世翁家さん馬を経て 1913年可楽を襲名。義士伝や道具入り芝居噺を得意とした。引退後易者になった。

三笑亭可楽(2世)
さんしょうていからく[にせい]

[生]?
[没]弘化4(1847).9.3.
落語家。1世三笑亭可楽の門弟。前名1世翁家さん馬。師の没後,周囲からすすめられて2世を継ぎ,仲間惣支配になったと伝えられる。晩年には楽翁と称した。

三笑亭可楽(4世)
さんしょうていからく[よんせい]

[生]?
[没]明治2(1869).9.10. 東京
落語家。本名榊原鎌三郎。幕臣の家に生れ,薩長軍に抵抗し爆弾を仕掛けたことから捕えられ,獄死。俗に爆弾可楽と呼ばれた。

三笑亭可楽(5世)
さんしょうていからく[ごせい]

落語家。本名平田芳五郎。4世三笑亭可楽の門弟。前名三笑亭芝楽。 1889年5世可楽を襲名したが,92年引退興行を行なって以後の消息は不明。音曲噺を得意とした。

三笑亭可楽(3世)
さんしょうていからく[さんせい]

落語家。本名原金兵衛。2世三笑亭可楽の養子。俗に武正可楽と称された。『本朝話者系図』を著した。ほかに,翁家さん馬から3世を襲名した可楽がいた。

三笑亭可楽(9世)
さんしょうていからく[きゅうせい]

[生]1936.7.21.
落語家。本名石上吉男。8世可楽門下。 1992年浮世亭写楽から9世を襲名。

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367日誕生日大事典 「三笑亭可楽」の解説

三笑亭 可楽(7代目) (さんしょうてい からく)

生年月日:1886年1月31日
大正時代;昭和時代の落語家
1944年没

三笑亭 可楽(6代目) (さんしょうてい からく)

生年月日:1846年9月15日
明治時代;大正時代の落語家
1924年没

三笑亭 可楽(8代目) (さんしょうてい からく)

生年月日:1898年1月3日
大正時代;昭和時代の落語家
1964年没

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世界大百科事典(旧版)内の三笑亭可楽の言及

【三題噺】より

…落語家が聴客に物品,地名,事件,人物などの中から任意に三つの題を出させて一席の落語をつくり,そのうち一題は〈落ち〉に用いなければいけないとされる。1804年(文化1),初代三笑亭可楽が江戸下谷の広徳寺門前,孔雀茶屋で〈弁慶,辻君(つじぎみ),狐〉の3題を得て一席の落語にまとめたのに始まる。文久年間(1861‐64)には大いに流行し,多くの愛好家グループが生まれた。…

【寄席】より


[江戸の寄席]
 寄席は,江戸時代の初めごろに,寺社の境内などで葭簀(よしず)張りの辻咄(つじばなし)や講釈を行ったものがあり,天和・貞享(1681‐88)のころには,江戸落語の祖といわれる鹿野(しかの)武左衛門(1649‐99)が,江戸の中橋広小路で葭簀張りの小屋掛けで興行をしているし,また安永・天明(1772‐89)のころから噺家(はなしか)の自宅や寺院,茶屋の座敷などで〈咄(はなし)の会〉を興行するものもあったが,現在の寄席のような形ができたのは,1798年(寛政10)6月に大坂から江戸に来た岡本万作が,神田豊島町藁店(わらだな)に〈頓作軽口噺(とんさくかるくちばなし)〉という看板を掲げ常設の寄席を作ったのが最初である。これに対抗して意欲を燃やしたのが初代三笑亭可楽(さんしようていからく)(1777‐1832)であり,彼は下谷柳町の稲荷神社の境内に寄席を開いた。のちに可楽は本格的な寄席興行の基礎を作り,多数のすぐれた寄席芸人を育成した。…

【落語】より

…江戸の寄席興行創始者は,大坂下りの落語家岡本万作で,1791年(寛政3)日本橋橘町の駕籠(かご)屋の二階で夜興行をし,98年,神田豊島町藁店(わらだな)に看板を掲げ,辻々にビラを貼って客を招いた。同年,江戸で山生亭花楽(さんしようていからく)(のち初代三笑亭可楽)が下谷(したや)稲荷社で,大坂では初代桂文治が座摩(ざま)社内で寄席興行を開催した。三笑亭可楽は,職業的落語家の祖として重要な存在だが,前記の寄席興行に失敗して芸道修業の旅ののち,1800年(寛政12),江戸柳橋で落語会を開き,04年(文化1),下谷広徳寺門前の孔雀(くじやく)茶屋で,客が出した〈弁慶,辻君,狐〉の三題を即座に一席の落語にまとめたことから人気を得た。…

※「三笑亭可楽」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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