落語の形式の一つ。落語家が聴客に物品,地名,事件,人物などの中から任意に三つの題を出させて一席の落語をつくり,そのうち一題は〈落ち〉に用いなければいけないとされる。1804年(文化1),初代三笑亭可楽が江戸下谷の広徳寺門前,孔雀茶屋で〈弁慶,辻君(つじぎみ),狐〉の3題を得て一席の落語にまとめたのに始まる。文久年間(1861-64)には大いに流行し,多くの愛好家グループが生まれた。なかでも狂言作者の2世河竹新七(のちの河竹黙阿弥),戯作者の仮名垣魯文,初代三遊亭円朝らが加わった〈粋狂連〉は名高く,今日に伝わる作品を残した。三遊亭円朝作という《芝浜革財布(しばはまのかわざいふ)》《鰍沢(かじかざわ)》《大仏餅》などは,こうした三題噺愛好の時勢のなかから生まれた名作である。明治以後では初代柳亭燕枝が巧みであったが,現在は行われない。
執筆者:興津 要
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…三笑亭可楽は,職業的落語家の祖として重要な存在だが,前記の寄席興行に失敗して芸道修業の旅ののち,1800年(寛政12),江戸柳橋で落語会を開き,04年(文化1),下谷広徳寺門前の孔雀(くじやく)茶屋で,客が出した〈弁慶,辻君,狐〉の三題を即座に一席の落語にまとめたことから人気を得た。これが三題噺の創始であり,可楽は,こういう創作の才と話術の妙とをもって落語を職業として成立せしめ,優秀な門人を育成した。人情噺の祖朝寝坊夢楽(あさねぼうむらく)(夢羅久),怪談噺の祖初代林屋正蔵,音曲(おんぎよく)噺の祖初代船遊亭扇橋(せんゆうていせんきよう),現在の幻灯のような写絵(うつしえ)を見せた都楽(とらく)(1781‐1852),百面相(ひやくめんそう)のような芸で,いろいろの目かつらをつける〈百眼(ひやくまなこ)〉を見せた三笑亭可上(かじよう)など,多士済々の可楽一門だった。…
※「三題噺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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