日本歴史地名大系 「三蘆城跡」の解説
三蘆城跡
みよしじようあと
現石川市街の西方、花崗岩からなる独立丘陵に位置する中世の山城跡。石川城・石川三芦城ともいわれ、石川氏惣領家の居城であった。比高は約五六メートル。東から南の山裾を
「石川氏一千年史」などによると、源頼遠・有光父子は前九年の役に参戦したが、頼遠は討死、役後有光は仙道の地を与えられ、当地北西の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
現石川市街の西方、花崗岩からなる独立丘陵に位置する中世の山城跡。石川城・石川三芦城ともいわれ、石川氏惣領家の居城であった。比高は約五六メートル。東から南の山裾を
「石川氏一千年史」などによると、源頼遠・有光父子は前九年の役に参戦したが、頼遠は討死、役後有光は仙道の地を与えられ、当地北西の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報