三C政策(読み)さんシーせいさく

精選版 日本国語大辞典 「三C政策」の意味・読み・例文・類語

さんシー‐せいさく【三C政策】

イギリスの帝国主義政策の一つ。一九世紀後半、イギリスはインドカルカッタ(Calcutta 現コルカタ)、エジプトカイロCairo)、南アフリカケープタウン(Cape Town)を結ぶ三角地帯を勢力下に収めようとして、スエズ運河買収一八七五)以降、アフガン戦争ファショダ事件ブーア戦争を起こした。特にドイツの三B政策と対立、第一次世界大戦の原因の一つとなった。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「三C政策」の意味・読み・例文・類語

さんシー‐せいさく【三C政策】

南アフリカのケープタウン(Cape Town)、エジプトのカイロ(Cairo)、インドのカルカッタ(Calcutta)を結ぶ三角地帯を勢力下に置こうとした、19世紀後半の英国の帝国主義的世界政策。ドイツの三B政策衝突し、第一次大戦一因となった。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「三C政策」の意味・わかりやすい解説

三C政策
さんしーせいさく

19世紀末から第一次世界大戦に至るイギリスの帝国主義政策の基本路線。南アフリカのケープタウンCape Town、エジプトのカイロCairo、インドのカルカッタ(現コルカタ)CalcuttaのCを冠した3拠点で囲まれた地域を勢力範囲としようとするもの。ドイツの三B政策(ベルリンビザンティウムおよびバグダードを結ぶ近東政策)と対比される。1869年スエズ運河開通後、イギリス本国から地中海を経てインドに至る海上ルートは「エンパイア・ルート」Empire Routeとして海洋帝国の生命線とみなされ、カイロからカルカッタへのルートが重視された。さらに19世紀末には、C・ローズらによりケープ・タウンとカイロを結ぶアフリカ縦断鉄道構想が唱えられた。これらの海上、陸上の交通によって結ばれた地域を獲得するため、アフリカでは1898年フランスとのファショダ事件を招き、99年にはブーア戦争を起こした。アジアではロシアとのアフガン戦争を起こし、のちにはバグダード鉄道を軸とする前述のドイツの三B政策とも衝突した。

[石井摩耶子]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「三C政策」の意味・わかりやすい解説

三C政策 (さんシーせいさく)

インドのカルカッタ,エジプトのカイロ,南アフリカのケープタウンのCを頭文字とする3地点を結ぶ地域を支配しようとするイギリスの帝国主義政策を指す。インドはイギリス帝国の中核であり,イギリスは1875年にスエズ運河を買収,82年にエジプトを保護下におくなど,インドにいたるルートの確保につとめた。またアフリカ大陸では北端のエジプトから南端のケープ植民地を結ぶ地域の支配をめざす大陸縦貫政策を推進した。三C政策は,アフリカでは大陸横断政策を進めるフランスと衝突,98年にはファショダ事件をおこした。また近東ではロシアの南下政策と,のちにバグダード鉄道敷設を中核とするドイツの三B政策と交差し衝突した。とくにドイツとの対立は,第1次世界大戦の原因の一つとなった。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「三C政策」の意味・わかりやすい解説

三C政策【さんシーせいさく】

1875年スエズ運河買収以来,インドのカルカッタ,エジプトのカイロ,南アフリカのケープ・タウンを結ぶ三角地帯を勢力下におさめようとして進められた英国の帝国主義政策。名称は上記3都市の頭文字に由来する。ドイツの三B政策,フランスのアフリカ横断政策と鋭く対立し,植民地獲得競争が激化した。
→関連項目第1次世界大戦ファショダ事件ローズ

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

今日のキーワード

潮力発電

潮の干満の差の大きい所で、満潮時に蓄えた海水を干潮時に放流し、水力発電と同じ原理でタービンを回す発電方式。潮汐ちょうせき発電。...

潮力発電の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android