上杉朝定(読み)うえすぎともさだ

精選版 日本国語大辞典 「上杉朝定」の意味・読み・例文・類語

うえすぎ‐ともさだ【上杉朝定】

  1. [ 一 ] 南北朝時代武将。丹後守護重顕の子。足利尊氏と直義との対立を仲裁したが、のち直義に従って信濃国に没す。元亨元~文和元=正平七年(一三二一‐五二
  2. [ 二 ] 室町後期の武将。法名了念正栄。武蔵河越城主。朝興の子。北条氏綱・氏康と戦い敗死。扇谷(おうぎがやつ)上杉氏最後の武将。大永五~天文一五年(一五二五‐四六

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関連語 観応

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「上杉朝定」の解説

上杉朝定(2) うえすぎ-ともさだ

1525-1546 戦国時代の武将。
大永(たいえい)5年生まれ。上杉朝興の子。父の死で家督をついだ天文(てんぶん)6年,北条氏綱によって本拠武蔵(むさし)河越城(埼玉県)を追われる。14年関東管領山内上杉憲政とむすび,古河公方(こがくぼう)足利晴氏をたてて同城の奪回をはかり攻囲。15年4月20日北条氏康に敗れて戦死した。22歳。扇谷(おうぎがやつ)上杉家はほろんだ。

上杉朝定(1) うえすぎ-ともさだ

1321-1352 南北朝時代の武将。
元亨(げんこう)元年生まれ。上杉重顕の子。妻は足利尊氏の姪(めい)。建武(けんむ)4=延元2年丹後(京都府)守護,のち引付四番頭人となる。観応(かんのう)の擾乱(じょうらん)では足利直義(ただよし)に属してたたかい,観応3=正平(しょうへい)7年3月9日信濃(しなの)(長野県)で没した。32歳。

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