足利晴氏(読み)あしかがはるうじ

精選版 日本国語大辞典 「足利晴氏」の意味・読み・例文・類語

あしかが‐はるうじ【足利晴氏】

  1. 室町後期の武将。高基の子。古河公方。晩年北条氏康のために相模波多野幽居。のち下総関宿隠居。永祿三年(一五六〇)没。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「足利晴氏」の意味・わかりやすい解説

足利晴氏
あしかがはるうじ
(?―1560)

戦国時代の武将。高基(たかもと)の子。幼名亀若丸。母は宇都宮成綱(しげつな)の娘。古河公方(こがくぼう)第4代。北条氏綱(うじつな)の姉を妻にし、北条氏の勢威を背景に勢力の回復を図ったが、氏綱の死により1545年(天文14)には北条氏との関係を断った。同年10月上杉憲政(のりまさ)らとともに北条側の武蔵(むさし)河越(かわごえ)城を攻めたが、北条氏康(うじやす)軍のために敗れ古河に帰った。以後体制の立て直しを策したが失敗し、1552年家督を子の義氏(よしうじ)に譲った。1554年には子の藤氏とともに氏康を討とうとしたが失敗し、逆に古河城を落とされ、氏康により相模(さがみ)の波多野に幽閉、ついで下総(しもうさ)の関宿(せきやど)に隠居させられ、永禄(えいろく)3年5月27日同地にて没した。墓は千葉県野田市関宿台町の宗英寺にある。

小要 博]

『佐藤博信編『足利高基・晴氏文書集』(1977・後北条氏研究会)』『古河市史編さん委員会編『古河市史 資料 中世編』(1981・古河市)』

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改訂新版 世界大百科事典 「足利晴氏」の意味・わかりやすい解説

足利晴氏 (あしかがはるうじ)
生没年:?-1560(永禄3)

戦国時代の武将。足利高基の子。第4代古河公方(こがくぼう)。幼名亀若丸。1528年(享禄1)越後長尾氏の援助を得て元服式をあげ,将軍義晴の偏諱(へんき)を得て晴氏と称した。父高基の方針のもとで後北条氏と婚姻関係を結び,氏康の妹(芳春院殿)をめとった。38年(天文7)北条氏綱の援助を得て小弓(おゆみ)公方足利義明を下総国府台(こうのだい合戦で破った。その後,後北条氏からの自立を図り45年の河越城の戦で関東管領上杉憲政に味方して後北条氏と戦ったが,逆に敗れ,勢力を後退させた。52年後北条氏の血を引く梅千代王丸(義氏)に家督を譲ったが,その後,後北条氏に抵抗したため相模秦野に幽閉された。後日許されて下総関宿城に入り,60年同所で没した。墓は野田市の旧関宿町宗英寺にある。
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朝日日本歴史人物事典 「足利晴氏」の解説

足利晴氏

没年:永禄3.5.27(1560.6.20)
生年:生年不詳
戦国時代の武将。高基の子。4代古河公方。幼名は満千代王丸。享禄1(1528)年,越後長尾氏の援助を受けて元服,将軍足利義晴の諱の1字をもらい晴氏と名乗る。大永1(1521)年ごろ,父高基の意向で北条氏綱娘と婚約するが,このときはこれを履行せず,重臣簗田氏の娘を妻に迎えやがて父と対立,その隠居を早めさせた。古河公方就任後,関東足利氏の正当性を巡る叔父の小弓公方足利義明との対立が激化すると,北条氏綱を頼り,天文7(1538)年その援助のもとに勝利を得るが,これを機に氏綱・氏康父子の圧力が強化され,翌年の氏綱娘との婚約履行以降,急速にその統制を受けるようになる。同15年上杉憲政らと結び,武蔵河越城で北条軍と戦って自立化を図るが敗北。同21年,氏綱娘を母とする末子義氏に無理やり家督を譲らされた。その後,何度か北条氏に抵抗し失地回復を図るが失敗,鎌倉,関宿,古河などを流転し,最後は下総関宿(栗橋とも)で没した。<参考文献>佐藤博信『古河公方足利氏の研究』

(市村高男)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「足利晴氏」の解説

足利晴氏 あしかが-はるうじ

1508-1560 戦国時代の武将。
永正(えいしょう)5年生まれ。足利高基(たかもと)の子。天文(てんぶん)4年4代古河公方(こがくぼう)をつぐ。北条氏綱の援助をえて,7年叔父の小弓(おゆみ)御所足利義明をやぶる。氏綱の死後は子の北条氏康と対立し,関東管領(かんれい)上杉憲政(のりまさ)に味方して北条方とたたかったが敗れ,相模(さがみ)(神奈川県)波多野(はだの)に幽閉された。のちに下総(しもうさ)関宿(せきやど)(千葉県)に隠退。永禄(えいろく)3年5月27日死去。53歳。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「足利晴氏」の意味・わかりやすい解説

足利晴氏
あしかがはるうじ

[生]?
[没]永禄3(1560).5.27.
戦国時代の武将。古河公方 (1535~52) 。高基の子。北条氏綱と同盟,勢力回復に努めたが,のち北条氏康と戦い,古河を追われて相模波多野に隠居,のち下総関宿に移って没した。

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