大正・昭和期の経済学者 東京商科大学学長。
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草創期の経済学者,経営学者。東京に生まれ,1902年東京高商(後の東京商大,現,一橋大)専攻部卒業後,同校講師となり英独に留学,帰国後05年教授となり,36年東京商大学長に就任し,在任中死去。その学風は,イギリス経済学に学びつつ日本の現実をふまえた,独自の理論的・実証的研究であった。主著《経営経済学総論》(1937),《株式会社経済論》(1913)で日本の経営学研究を確立した。1926年大日本経営学会の創立とともに常務理事,後に代表理事。研究分野は広く,《英国産業革命史論》(1923)で日本における産業革命研究の道を開き,《社会改造と企業》(1922)で社会問題について研究し,後には労働問題,人口問題,中小企業問題で多くの研究を行った。26-28年雑誌《企業と社会》を創刊・主宰し,独自の〈新自由主義〉を提唱し,また第1回ILO会議(1919)など多くの国際会議に出席し見解を公表した。《上田貞次郎全集》全7巻(1975-77)がある。
執筆者:種瀬 茂
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日本における経営経済学の創始者。明治12年5月12日東京に生まれる。東京高等商業学校(一橋大学の前身)を卒業、イギリス、ドイツに留学し、帰国後、母校の教授となる。のち同校が東京商科大学になるとともに同大学教授となり、1937年(昭和12)から学長にも就任したが、在任中の40年5月8日に病没した。彼は、ヨーロッパ留学中から古典派経済学などの経済理論や経営学を学び、東京高等商業学校では「商工経営」の講座をつくり、日本の経営学の創設に努めた。『株式会社経済論』(1913)をはじめ『商工経営』(1930)や『経営経済学総論』(1937)などで日本の経営学研究を基礎づけただけでなく、『英国産業革命史論』(1923)にみられる歴史研究、『社会改造と企業』(1922)での社会政策論の研究、『日本人口政策』(1937)における社会科学的な人口論の研究など、その研究領域はきわめて多方面にわたった。
[藤田勝次郎]
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…70年代における共同決定制の導入を契機に労働組合側から提起されたこれまでの経営経済学を資本中心の展開とした批判,それに対する労働志向個別経済学の提起は,新規範主義と区別されるものの,経済体制そのものへの変革さえ企図して企業のあるべき姿を求めて展開されたものである。 ドイツ経営学の日本への導入は,この分野の科学性を問う状況を反映して1910年代にはすでに商事経営論,私経済学として上田貞次郎,渡辺鉄蔵によって紹介された。《商事経営論》(1922)は後者によるその成果であり,その後大正末期から昭和初頭にかけて増地庸治郎,佐々木吉郎,平井泰太郎,馬場敬治,池内信行らによって日本における経営学,経営経済学の研究が進められた。…
※「上田貞次郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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