精選版 日本国語大辞典 「上田貞次郎」の意味・読み・例文・類語
うえだ‐ていじろう【上田貞次郎】
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日本における経営経済学の創始者。明治12年5月12日東京に生まれる。東京高等商業学校(一橋大学の前身)を卒業、イギリス、ドイツに留学し、帰国後、母校の教授となる。のち同校が東京商科大学になるとともに同大学教授となり、1937年(昭和12)から学長にも就任したが、在任中の40年5月8日に病没した。彼は、ヨーロッパ留学中から古典派経済学などの経済理論や経営学を学び、東京高等商業学校では「商工経営」の講座をつくり、日本の経営学の創設に努めた。『株式会社経済論』(1913)をはじめ『商工経営』(1930)や『経営経済学総論』(1937)などで日本の経営学研究を基礎づけただけでなく、『英国産業革命史論』(1923)にみられる歴史研究、『社会改造と企業』(1922)での社会政策論の研究、『日本人口政策』(1937)における社会科学的な人口論の研究など、その研究領域はきわめて多方面にわたった。
[藤田勝次郎]
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…70年代における共同決定制の導入を契機に労働組合側から提起されたこれまでの経営経済学を資本中心の展開とした批判,それに対する労働志向個別経済学の提起は,新規範主義と区別されるものの,経済体制そのものへの変革さえ企図して企業のあるべき姿を求めて展開されたものである。 ドイツ経営学の日本への導入は,この分野の科学性を問う状況を反映して1910年代にはすでに商事経営論,私経済学として上田貞次郎,渡辺鉄蔵によって紹介された。《商事経営論》(1922)は後者によるその成果であり,その後大正末期から昭和初頭にかけて増地庸治郎,佐々木吉郎,平井泰太郎,馬場敬治,池内信行らによって日本における経営学,経営経済学の研究が進められた。…
※「上田貞次郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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冬期3カ月の平均気温が平年と比べて高い時が暖冬、低い時が寒冬。暖冬時には、日本付近は南海上の亜熱帯高気圧に覆われて、シベリア高気圧の張り出しが弱い。上層では偏西風が東西流型となり、寒気の南下が阻止され...
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