社会への影響力を強めつつある企業の行動を研究対象とする学問分野。資本主義経済のもとでの一般的な企業は,私的営利を目的として経済活動を営む組織体であるが,経営学はその企業行動を組織体の活動として分析するところに,その認識上の特徴がある。経済活動を営む組織体には,直接に営利を目的としていない公企業や公共事業体,協同組合等々もあるが,これらの行う経済活動も,それを組織体の活動として認識したときには経営学の研究対象となりうる。
組織体として認識された企業を構成している基礎的な要素は個々人の活動である。すなわち組織とは,複数の人々の相互に調整された活動の体系であって,その組織を通じて人々の活動が集約され,企業のさまざまの活動となって表れる。経営学はその個々人について,能力の限界があるということを基本的な公準としている。能力の限界は状況の認知についても,物理的な行動能力についてもありうる。個人はこの能力の限界のため,目的の達成のために最適の行動をとるという保証はなくて,行動についてのいくつかの代替的選択肢のなかから,一つを選択するという意思決定をする。この意思決定に時間・エネルギーを費消するが,同じ状況が続き類似の刺激が繰り返されていると,意思決定が常規化され,時間・エネルギーが節約される。経済的目的を多少でも効率的に達成しようとする意図があれば,意思決定を常規化する条件をつくる。これによって社会的分業が発達し,また分業による協業を活用するべく経済活動のための組織体が発達する。経営学の人間観は,人々を意思決定者としてみるというところにある。意思決定は上記のように常規化するが,環境が変化すれば常規化された意思決定にもとづく行動が変化した環境に適合しなくなり,新しい意思決定活動が必要になる。経営学の諸分野の研究は,暗黙のうちにもすべてこのような意思決定を軸にして,企業活動を理解し,説明しようとしている。
経営学は変化する経済的・社会的環境のなかで経済活動を行っている現実の企業の行動の論理を解明し,またその企業の行動の社会・経済に及ぼす影響のメカニズムを理解しようとしている。現実の企業の活動分野が拡大し,その影響も広範囲に及ぶようになるにつれて,経営学が包含する問題も多様になるとともに,個々の問題意識も細分化され,さまざまの分科領域が形成されている。これら分科領域は,通常は企業の目的達成のために必要な各機能に即する分類と,分析のための手段に即する分類とによって体系化されている。(1)機能に即する分類は,企業の経済活動の流れに沿っている。企業は社会的分業の一環を担い,そのために原材料を購入し,それを加工し製品にして販売し,代価を得ている。この流れはサービスや情報を扱う企業であっても,基本的には同じである。この流れのなかで,まずどのような事業領域を選択するかの問題があり,これが経営戦略論の主題になっている。またその事業を行うための資金調達や投資活動を問題にするのが,経営財務論である。企業制度論ないし経営形態論は,資金調達の様式の差異にもとづく会社制度や企業間の結びつきの諸形態を問題にする。生産活動の仕組みについては,生産管理,品質管理などの領域が発達している。マーケティング論は,市場での販売と企業内の生産との関係を問題にしている。この流れを通じて実際に活動を担う人々の雇用,労働のあり方等を労務管理論が扱う。またこれらの人々の活動の効率化を問題にする領域が,経営管理論である。(2)分析のための手段に即する分類には,企業活動に対する数学的・統計的分析を行うものとして,経営科学,企業経済,経営統計などの領域がある。会計学の諸分野も,企業活動における資金の流れの側面を会計的手法によって分析する。
執筆者:土屋 守章
ドイツでは経営学は一般に経営経済学Betriebswirtschaftslehreと呼ばれている。それは,管理論の対象を公・私の企業はもちろんのこと,行政,教育,軍隊,教会,労働組合などさまざまな組織にまで拡張しようとするアメリカ経営学に対し,当初は少なくとも私企業(株式会社)のみを対象としていたことに特徴がある。もっとも経営経済学という名称が広く用いられるようになったのは1920年代以降で,それ以前は商業経営学,私経済学,企業経済学などと称されていた。ドイツ資本主義の後進性を受けて経済学が国民国家を背景とした国民経済学として研究され,展開されていたのに対して,19世紀末にドイツ資本主義の独占が進展し,重化学工業を中心として巨大企業が成立する過程で,企業間にコンツェルンが組織され,カルテルの形成が活発化し,市場における〈見える相手〉の競争が現実化するなかで,企業経営の実態を解明するために誕生したのが経営経済学である。したがって,経営経済学は資本蓄積の過程で市場に対する企業の作用,企業相互間および企業内部の管理を主として究明しようとしてきた。この学問を確立しようとする努力は1898年にドイツ語圏で四つの商科大学が創設されたときに始まった。それらの商科大学は職業教育の専門化ならびに19世紀初頭以来創設された工科,鉱山科,農科大学の創設の動きに結びつくものであり,専門的商業人の養成と主要科目の科学化を目的とするものであった。すなわち,この分野につねに結びついていた〈金もうけ論profitlehre〉という批判をいかに払拭(ふつしよく)し,科学に値する分野とするかに向けられていたのである。この動きは,それまでの経営経済学が利潤追求を目的とする私企業を対象としてとり上げていただけに,1880年代から1900年代にかけて国民福祉に傾斜していく国民経済学が方法論争,価値判断論争を通して科学性を問題視していた状況と無縁ではなかった。1910年代に激しく展開された〈第1次方法論争(私経済学論争)〉は経営経済学がその科学性を問われた最初のものであり,20年代末の第2次方法論争,50年代初頭の西ドイツにおける第3次方法論争,70年代の第4次方法論争とたび重なる論争の展開において,歴史のなかでこの分野における争点の複雑さをうかがい知ることができる。
こうした論争を通じて,(1)理論学派,(2)技術論学派,(3)規範論学派がそれぞれその時々の経営経済学の主流を形成してきた動きこそ,1920年代の産業合理化期,30~40年代のナチス期,第2次大戦後の西ドイツの〈経済の奇跡〉といわれる時期,70年代のオイル・ショック,公害,エコロジー運動の時期にあっても,企業の在り方をめぐりつねに問われてきた問題点であった。
(1)理論学派はM.R.ワイヤーマン,H.シェーニッツ,W.リーガー,E.グーテンベルク,H.アルバハらにその系譜をみるが,彼らに共通の主張は,経営経済学が資本主義的企業の本質とその因果法則の解明に主眼をおき,現実の企業との間に一定の距離を保ちながら,理論科学であることに力点をおいたことである。
(2)技術論学派は簿記,会計学にたけた初期の研究者,さらにE.シュマーレンバハ,F.ライトナー,K.メレロビッツ,E.ハイネンらにその流れを求めることができるが,この学派は経営経済学が経営者に企業の健全性,存続のための処方箋を示すことにあるとシュマーレンバハが指摘したように,実践的・応用的側面を強調するものであった。企業活動についての計数的把握が財産中心=資本蓄積の度合の表示から期間損益中心=一定期間にいかに収益をあげたかへの表示,つまり静態論から動態論への移行として,その計数的把握そのものがきわめて管理的性格をもっていたことは経営経済学の特徴である。実証的研究を通じて経営経済学に多くの共通概念を提供したこのアプローチも,理論学派の多くの成果に依拠していたことは否定できない。
(3)企業ではなく,経営Betrieb,経営経済Betriebswirtschaftあるいは経済経営Wirtschaftsbetriebに対象を普遍化した規範論学派は,営利性原則にかわって経済性原則Wirtschaftlichkeitsprinzipをとり入れ,経営共同体論を主張したところに一つの特徴をみることができる。とくに1920年代の確立期に活躍したH.ニックリッシュはその典型であった。当時の規範論にはワイマール期の経営参加問題を含む民主化からの影響と,ナチス体制への傾倒を無視するわけにはいかない。70年代における共同決定制の導入を契機に労働組合側から提起されたこれまでの経営経済学を資本中心の展開とした批判,それに対する労働志向個別経済学の提起は,新規範主義と区別されるものの,経済体制そのものへの変革さえ企図して企業のあるべき姿を求めて展開されたものである。
ドイツ経営学の日本への導入は,この分野の科学性を問う状況を反映して1910年代にはすでに商事経営論,私経済学として上田貞次郎,渡辺鉄蔵によって紹介された。《商事経営論》(1922)は後者によるその成果であり,その後大正末期から昭和初頭にかけて増地庸治郎,佐々木吉郎,平井泰太郎,馬場敬治,池内信行らによって日本における経営学,経営経済学の研究が進められた。26年に日本経営学会が創設され,昭和初頭には大学にもこの領域に関する講座が設置されるようになった。しかし,日本における経営学の研究は,当初より方法論的検討に力点がおかれたといえる。学問の基本的性格を問う科学性または方法論に関する模索は今日の経営経済学においても依然として踏襲されており,批判的合理主義,構成主義ならびに批判主義(フランクフルト学派)は,方法論上の立場を代表している。H.A.サイモンの意思決定論が広く管理論の主流をなしている現状からすれば,ドイツ経営学の立場もアメリカ経営学の立場も理論上接近をみせつつあるといえよう。
執筆者:高橋 俊夫
現実の社会のなかで,組織体を通じて行う経済活動の重要性が高まっていくにつれて,これに対する科学的研究の必要性が意識されるようになってきた。欧米では19世紀の後半に,大量生産の進展,株式会社制度の発達,企業規模の拡大等に対応して経営学の問題意識が生じてきた。しかしその当初は,ドイツ経営学では経済学に対する独自性を確立するための方法上の問題が主たる関心事であったが,アメリカ経営学は現実の企業経営において生ずる具体的な問題を実践的に解決することを目ざしていた。
アメリカ経営学の最初の問題意識は,分業を進行させていた生産活動を体系的に管理するための労務管理と生産管理にかかわっていた。1880年代から20世紀初頭にかけて,これらの問題に直面していた機械技師たちによってさまざまの議論がなされたが,そのうちの代表的なものの一つがF.W.テーラーによる科学的管理法である。これは企業経営の問題に初めて科学的に接近したものとして広く注目を集め,実践面にもまたその後の経営学の発達にも大きな影響をもった。1910年代以降,労務管理の問題に心理学が適用されてきたが,その関連でレスリスバーガーFritz Roethlisbergerらによってホーソーン実験が行われ,そこから人間関係論が出てきた。それは,労働者の動機づけのために職場で形成される非公式組織(公式組織・非公式組織)の重要性を指摘したものであった。これに関連するさまざまの研究にもとづいて,50年代に経営学,心理学,社会学などを総合した行動科学が展開した。
この間にもアメリカ経営学の問題意識は,生産現場にとどまることなく,企業活動の全般的な管理に向けられていったが,50年代までその理論的支柱となっていたのは,〈人を通じて事をなさしめる〉という管理活動一般を計画・組織・指揮・統制の各過程に分けて分析する経営過程学派management process schoolの考え方であった。しかし,60年代には,これに対する批判から,効率的な管理方式はその組織のおかれた状況によって異なるという条件適応理論contingency theoryが生まれ,アメリカ経営学の主流となった。この流れとは別に,C.I.バーナードの《経営者の役割》(1937)を祖とする近代組織理論modern organization theoryが,H.A.サイモンらに引き継がれて発達していた。それは,企業のなかで働く人々の大部分がホワイトカラーや専門職になってきたという現実の動きを反映して,組織を構成する人々を意思決定者として認識して,組織の動きを解明しようとする理論であり,今日の経営学の基礎概念を提供するものであった。
また,現実のアメリカの諸産業が成熟期に達した60年代から経営多角化などの企業戦略についての問題意識が経営学にもち込まれ,70年代以降この分野での研究が盛んになった。さらに80年代アメリカの現実の課題として電子工学や生物化学を基礎にする新しい産業の興隆,また成熟産業の再活性化が重要になるにつれて,技術革新と企業戦略の関連が,経営学の重要な問題として,広く認識されつつある。
日本においても現実に企業活動の重要性が高まるにつれて,経営学の生成と発達が促されていった。1910年代に大学で経営学関連の講座が設置され,ドイツ経営学の移入によって始まったが,これと並行してアメリカ経営学も〈科学的管理法〉を中心として紹介され,20年代の産業合理化運動の指導理念となった。30年代にはマルクス経済学の興隆に刺激されて,経営学においても個別資本の運動法則を解明し,現実の企業活動を批判的に研究する個別資本説ないし批判経営学の流れが中西寅雄,馬場克三らによって始められた。他方,ドイツ経営学の基礎のうえにアメリカ経営学の問題意識を接合させた研究が馬場敬治や藻利重隆によって進められ,これらが第2次大戦後に引き継がれた。
戦後はさまざまの経路を経てアメリカの経営手法が日本に紹介されたが,経営学もこの影響を受け,人間関係論などアメリカ経営学の諸理論の研究が盛んになり,高宮晋,山城章らを中心に日本の現実の企業経営の近代化ないし合理化に直接間接の貢献をした。理論面では,バーナードとサイモンを引き継いだ近代組織理論が日本の経営学にしだいに受け入れられて,今日に引き継がれている。他方,60年代の高度成長を経て日本の企業が国際競争力を高めてくると,むしろ欧米の諸理論とは異なる日本の企業経営の現実に対する見直しがなされるようになり,いわゆる日本的経営論が盛んに議論されるようになった。戦後導入されたアメリカの経営手法を日本の土壌に根づかせて,独自に発展させた品質管理や生産管理の手法は,今日世界的な注目を集めている。
→経営・経営管理
執筆者:土屋 守章
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
社会科学の一分野で、統一的な意思のもとに一定の継続的施設を基礎にして活動する組織体の構造および行動の原理を研究する学問。研究対象となる組織体に関して、組織体一般を研究するものを広義の経営学ないし一般経営学general principles of managementといい、企業という特定組織体に限定するものを狭義の経営学ないし企業経営学principles of business administrationということがある。
[森本三男]
一般にドイツ経営学とアメリカ経営学の二つの流れに分けられる。前者は、商業学の科学化に始まるが、科学化の過程で方法論争が激しく行われた。その名称についても私経済学や個別経済学などが主張されたが、やがて経営経済学Betriebswirtschaftslehre(ドイツ語)に落ち着き、現在に至っている。経営経済学は、経営を経済現象としてとらえ、それを理論的に解明するものであるが、その学問的性格をどのように理解するかについて、第二次世界大戦前にはその内部に次の3派が鼎立(ていりつ)した。経営の経験的現実事象に内在する因果法則を説明する理論学派、この因果法則を政策―目的関係に代置して政策や技法のあり方を研究する技術論派、経営のあるべき姿(中心は経営共同体論)を説く規範学派がそれである。戦後は、理論学派の流れが近代経済学の手法を導入して他を圧倒したが、近年はアメリカの研究の影響が強くなり、経済学の色彩は希薄化している。
アメリカでは伝統的に実践的傾向が強く、経営学は20世紀初頭の科学的管理法を源流とし、経営者、管理者のための経営管理学として発達してきた。それは長らく機能分析や管理技術を中心とする技術論であったが、1950年代以降、科学的実証に基づく理論によって代置されている。他方、アメリカにおいても、このような経営管理学とは別に、制度派経済学を土台としながら経営の本質を理論的に究明する制度派経営学や、近代経済学の手法を経営管理者という実践主体の立場から意思決定への応用としてとらえるマネジリアル・エコノミックスmanagerial economicsがある。
日本の経営学は、第二次世界大戦まではドイツの経営経済学の、戦後はアメリカ経営学の影響を強く受けてきたが、1960年(昭和35)ごろからは、外国の成果を吸収、包摂しつつ、独自の体系において構築しようとする傾向が強い。
[森本三男]
現在の経営学は、「ジャングル」と形容されるほど多彩であり、大勢が支持するような安定的体系は存在しない。しかし、大きな問題領域という意味で、基本的枠組みを示すことは可能である。その場合、研究対象を前述のように組織体一般とするか企業にするかが、決定的な分岐点となる。前者の代表的存在であるC・I・バーナードは、人間論、協働システム論、組織論、管理論という体系をとった。これを四層体系、または(人間論は前提であり、後三者が実際の内容になるとみて)三層体系という。人間論では、制約をもちながらも自由な意思決定を通じて合理性を追求する存在として人間がとらえられる。このような人間が制約を克服しようとするとき、協働システムが形成されるが、それは一般にいう組織体ないし経営にほかならない。協働システムのうち、意識的に調整された人間の活動や諸力を組織といい、組織を有効に稼働させる作用が管理である。このような関連のもとに理論が展開され、体系化されているが、広義の経営学は、対象の一般性のゆえに包括的、抽象的にならざるをえない宿命をもつ。バーナードの理論もこの宿命を逃れられなかった。
他方、企業のみを研究対象とする狭義の経営学では、少なくとも二つの部分体系が必要である。第一は、企業とは何かを問題にする企業理論であり、第二は、企業はいかに行動しているか(理論学派)、あるいはいかに行動させるべきか(技術論派)を問題にする経営行動論ないし広義の経営管理論である。企業理論については、ミクロ経済学の企業理論をそのまま用いるものもあるが、経営学の独自性の高いものとして、制度派経営学の成果を応用しながら企業を環境適応的発展システムとしてとらえる企業体制論がある。このような企業観にたてば、企業体制論に関連して、企業環境論、社会的責任論、経営目的論が必要になる。企業は成長とともに社会的責任を負うようになり、また経営目的の設定と変更は、環境適応行動の出発点になるからである。経営行動は、経営目的実現の動的過程であるが、行動展開のためには、中心主体と行動の手段選択原理が明らかにされなければならない。経営者論と経営戦略論がこれであり、これらは広義の経営管理論の冒頭部を構成する。これを受けて各種管理論が展開される。財務管理、労務管理のような要素的管理論、購買管理・生産管理・販売管理のような過程的管理論など、各種の基準による体系が構成される。また、以上の全領域を組織(人間)と経済(資本)の側面からとらえる、経営組織論と経営経済論(ほとんどは経営費用論)が加えられることになる。
[森本三男]
『森本三男著『経営学入門』3訂版(1995・同文舘)』▽『村松司叙著『現代経営学総論』(1991・中央経済社)』▽『亀川雅人・鈴木秀一著『入門経営学』(1997・新世社)』▽『眞野脩著『講義経営学総論』(1997・文眞堂)』
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…心理学も自然科学と社会科学にまたがる広大な学問で,前者に属する部門のほうが後者に属する部門よりもずっと大きく,そして後者は社会心理学になるからこれを社会学に含めて考えることができる。経営学,行政学,教育学などは,それぞれ企業,官庁,教育組織という特定領域の問題を専攻する領域学で,学問分野としては経済学や政治学や社会学や心理学に還元される(経営経済学,経営社会学,経営心理学等々)。宗教学や言語学や芸術学などは,社会学,心理学に還元される部分(宗教社会学,宗教心理学等々)以外は,人文学に属するものと考えておきたい。…
※「経営学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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