日本歴史地名大系 「上福岡市」の解説 上福岡市かみふくおかし 面積:六・八一平方キロ県南部にあり、東は富士見市、南は富士見市および入間(いるま)郡大井(おおい)町、西・北は川越市。西部の武蔵野台地縁辺と東部の荒川低地にまたがる。北から北東境を経て東部へと新河岸川が南東流し、南部を東へ流れる江(え)川が福岡・駒林(こまはやし)地区境で新河岸川に落ちる。西部を東武東上線、東部を富士見川越有料道路が南東から北西へ通る。〔原始・古代〕旧石器時代の遺跡にはナイフ形石器やスクレーパーなどが出土した川崎(かわさき)遺跡がある。縄文時代早期後半から海進現象によって荒川低地に海が進入し、古入間(こいるま)湾が形成されて遠浅の海辺となり貝の生息に適したため、武蔵野台地縁辺の荒川右岸には川崎貝塚・上福岡貝塚など貝塚が数多くみられる。上福岡貝塚では縄文時代前期の貝塚を含む二四軒の竪穴住居跡が発見された。この竪穴住居跡の一軒には七回の増築の跡がみられ、当時のムラや家族構成を知るうえで著名な遺跡である。縄文時代前期後半から中期にかけては鷺森(さぎのもり)遺跡・滝(たき)遺跡・ハケC遺跡などがある。古墳時代になると、東に荒川低地、南に滝の集落遺跡を見下ろす台地上に権現山(ごんげんやま)墳墓群が形成された。方形周溝墓・前方後方墳・円墳などが調査され、底部穿孔土器・埴輪・などが発見されている。築造時期は三世紀から五世紀中頃にわたっている。奈良時代の遺跡は数ヵ所発見されている。平安時代の川崎遺跡から金鉗・鉄鎌・火打金・穂摘具・鉄鏃などの鉄器を伴った小鍛冶の工房跡が発見されている。また同遺跡からは瓦塔・緑釉陶器・灰釉陶器・布目瓦など仏教に深い関係のある遺物が竪穴住居跡と隣り合せに見つかっており、おそらく寺院跡と考えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by