下居神社(読み)おりいじんじや

日本歴史地名大系 「下居神社」の解説

下居神社
おりいじんじや

奈良県桜井市の大字しも浅古あさご倉橋くらはしの境の山上に鎮座祭神彦八井耳ひこやいみみ命。旧村社。上記三大字の氏神で「延喜式」神名帳十市とおいち郡の「下居神社」に比定(大和志)。「下居」は「延喜式」享保板本が「シタヰ」、同書九条家本が「シモヰ」と読み、「神祇志料」には「盖神八井耳命を祀る。初神八井耳命皇居を去て、春日県に降居坐き。故下居神といふ」とみえる。「文徳実録」天安元年(八五七)八月一六日条に従五位下「椋橋下居神」に従五位上を授けたことがみえ、下居神が「椋橋くらはし」の域内にあったことがわかる。倉橋の南に下居の大字があり、下居原と称して崇峻天皇が庭を作らせて四季に叡覧したという伝説を残すが(七巻抄)、下居神社との関係は明らかでない。


下居神社
おりいじんじや

[現在地名]宇治市宇治下居

旧奈良街道から少し東に入った下居しもいに鎮座。祭神は伊邪那美いざなみ命・速玉男はやたまのお命・泉事解せんこととき命。「三代実録」貞観八年(八六六)閏三月七日条に「山城国正六位上降井神」が従五位下に昇位したことがみえる。社地は「万葉集」巻一に「額田王未詳」として「秋の野のみ草刈り葺き宿れりし宇治のみやこの仮廬し思ほゆ」と詠まれる「仮廬」の旧地と伝えられる。左注に「右、山上憶良大夫の類従歌林に検すに、曰く、一書に戊申の年、比良宮に幸すときの大御歌といふ」とあり、孝徳天皇の大化四年(六四八)近江比良ひら宮への行幸の際の天皇(あるいは皇極上皇か)の歌であるともいう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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