日本歴史地名大系 「下津浦村」の解説
下津浦村
しもつうらむら
[現在地名]有明町下津浦
北東は
戦国時代、上津浦氏を攻める栖本・天草諸氏連合軍によって戦場化され、「八代日記」永禄元年(一五五八)三月一六日条に「上津浦ヨリ棚底ニ動、嶋子ヨリ下津浦ニ動候」とみえる。寛永一四年(一六三七)の天草・島原の乱時には全村民が一揆に加わり、同年一一月一日付の坂崎内膳口上之覚(細川家記)に「上津浦・下津浦筋赤崎と申所之寺其外宮共地やき仕候」とある。松平信綱の家臣長谷川源右衛門の「肥前国有馬高来郡一揆籠城之刻々日記」に本丸鉄砲大将下津浦次右衛門光安の名がみえる。
下津浦村
しもつうらむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報