日本歴史地名大系 「下石田村」の解説
下石田村
しもいしだむら
大永四年(一五二四)一月一九日葛山氏広は関孫九郎に「三ケ村之内余田拘分」を新恩として与えている(「葛山氏広判物」関文書)。この「三ケ村」は上・中・下の石田三ヵ村にあたり、葛山氏がこれまで年貢が課されていなかった三ヵ村の田地を新たに把握し、その地を抱えていた関氏に給分として与えたものである。元亀三年(一五七二)一月一九日、関平左衛門は甲斐武田氏に寝返って駿河先方衆となった旧今川家臣朝比奈信置から「石田之内」の二ヵ所の名田を安堵されている(「朝比奈信置判物」同文書)。
下石田村
しもいしだむら
下石田村
しもいしだむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報