下石田村(読み)しもいしだむら

日本歴史地名大系 「下石田村」の解説

下石田村
しもいしだむら

[現在地名]沼津市大岡おおおか

日吉ひよし村の東、狩野かの川の下流右岸に位置する。東は木瀬川きせがわ村、北は中石田村。地内を東海道の往還が東西に通り、往還長七町一八間のうち三町五三間にわたって家並が続いていた(宿村大概帳)。かつては当村および中石田村・上石田村の三ヵ村を合せて石田と称し、中世には大岡庄のうちであった。

大永四年(一五二四)一月一九日葛山氏広は関孫九郎に「三ケ村之内余田拘分」を新恩として与えている(「葛山氏広判物」関文書)。この「三ケ村」は上・中・下の石田三ヵ村にあたり、葛山氏がこれまで年貢が課されていなかった三ヵ村の田地を新たに把握し、その地を抱えていた関氏に給分として与えたものである。元亀三年(一五七二)一月一九日、関平左衛門は甲斐武田氏に寝返って駿河先方衆となった旧今川家臣朝比奈信置から「石田之内」の二ヵ所の名田を安堵されている(「朝比奈信置判物」同文書)


下石田村
しもいしだむら

[現在地名]甲府市下石田二丁目・徳行とくぎよう二丁目・国母こくぼ一―三丁目

上石田村の南東にある。西は清水新居しみずあらい(現昭和町)川の水を竜王下河原りゆうおうしもがわら村内で引入れた小松田こまつだ川が南寄りを東流する。北を流れるあら川を越えて城下に入る駿州往還しん路とよばれ、村のほぼ中央を南北に通る。またこれに交わる東の高畑たかばたけ村に通じる道は古道と称された(甲斐国志)。天正一一年(一五八三)四月一九日の徳川家康判物写(寺記)では「下石田」内二貫文が一蓮いちれん寺領として安堵されている。


下石田村
しもいしだむら

[現在地名]浜松市下石田町・流通元町りゆうつうもとまちなど

天王新田てんのうしんでん村の東、安間あんま川左岸に位置。北は上石田村で、中央を南北に本坂通が通る。村名は霊亀元年(七一五)五月の麁玉あらたま河決壊当時、石田いわた(磐田)郡に属していたことによるとも伝える。松平忠頼領郷村帳では高四五五石余、田二三町余・畑三七町余、ほか龍玄寺領三石、八万(八幡)領五石。元和五年(一六一九)には幕府領(池田川西代官所高帳)正保郷帳では幕府領で田一九九石余・畑二五六石余のほか、養源ようげん(現曹洞宗)領三石・八幡領五石。元禄郷帳では高六二一石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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