日本歴史地名大系 「下立松原神社」の解説 下立松原神社しもたてまつばらじんじや 千葉県:安房郡千倉町牧田村下立松原神社[現在地名]千倉町牧田字宮前(みやのまえ)に鎮座。祭神は天日鷲尊・木花比売命・月読命。境内別殿に須佐之男尊を祭神とする八雲(やくも)神社、稲倉霊命を祭神とする稲荷神社、高皇産霊尊を祭神とする天神社、豊玉姫命を祭神とする子安(こやす)神社があり、境内別社に御霊(みたま)白旗(しらはた)大明神がある。旧村社。「延喜式」神名帳に載る朝夷(あさい)郡四座の一、「下立松原(シモタチマツハラノ)神社」とする説がある。当社蔵の縁起によると、元暦二年(一一八五)源頼朝が頼義・義家父子の御霊を祀り、武運長久、家内隆盛の祈願所として御霊之宮と白幡(しらはた)八幡宮を創建したと伝え、また頼朝が頼義・義家の木像と、頼朝書写の大般若経を奉納、毎年転読して武運長久を祈願したが、破損がひどくなり、明和九年(一七七二)に石函に納め経塚を建てたという。 下立松原神社しもたてまつばらじんじや 千葉県:安房郡白浜町滝口村下立松原神社[現在地名]白浜町滝口 犬ヶ沢国道四一〇号の北方、長尾(ながお)川右岸に鎮座し、小鷹(おだか)明神(小高明神)ともいう。祭神は天日鷲命。旧村社。天富命が天日鷲命の後裔由布津主命の率いる阿波忌部氏を従えて当地に至り、祖神の天日鷲命を祀ったのが創始と伝え、神武天皇元年の創建という。「延喜式」神名帳に載る朝夷(あさい)郡四座のうちの「下立松原(シモタチマツハラ)神社」(シモタテマツハラとも訓ずる)に比定する説がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by