下総国分寺跡・下総国分尼寺跡(読み)しもうさこくぶんじあと・しもうさこくぶんにじあと

日本歴史地名大系 の解説

下総国分寺跡・下総国分尼寺跡
しもうさこくぶんじあと・しもうさこくぶんにじあと

[現在地名]市川市国分三―四丁目

下総台地南西端の支台である国分台の南端に所在し、国分寺(僧寺)がやや南に位置するものの、僧寺尼寺はほぼ東西に並ぶ。周辺の遺跡では小支谷を挟んで南側の須和田すわだ台には弥生時代中期から奈良・平安時代に至る複合遺跡須和田遺跡があり、西側の国府こうの台には古代下総国府が推定されている。しかし当地は小支谷によって独立性が保たれており、国分寺建立の勅にある立地条件とも合致する。遺跡の現況宅地や畑がほとんどで、伽藍の中心は僧寺が真言宗豊山派の国分山国分寺、尼寺が市営国分尼寺跡公園となっている。ともに国の指定史跡。「江戸名所図会」「下総国旧事考」「成田名所図会」など一九世紀中葉以降の地誌類では、現在の尼寺跡に「昔堂」と通称された土壇状の高まりがあり、同所から礎石や瓦が出土したことなどから、僧寺を現尼寺跡に想定、尼寺は現在の中山法華経寺、東京都江戸川区の善照ぜんしよう寺、真間の弘法ままのぐぼう寺などに想定してきた。昭和七年(一九三二)初めて発掘調査が行われ、僧寺・尼寺とも伽藍の中心は現在地に想定されるようになった。

僧寺は昭和四一年の発掘調査で金堂講堂・塔の配置が判明し、金堂と塔が東西に並んで講堂はその中間の北側に位置する法隆寺式伽藍配置であることがわかった。ただし塔基壇は西に傾き、金堂・講堂基壇は東に傾いており、堂塔の向きは一定ではない。その後の発掘調査では寺院地区画の北辺溝・西辺溝、北辺溝の橋、伽藍中心を区画する塀と溝、僧房推定建物、営繕下働きにかかわる施設、講院(講師の居所)推定建物、倉、僧の食事を作る施設などが確認されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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