知恵蔵 の解説
世界アンチ・ドーピング機関
スポーツ競技で興奮剤などを服用するドーピングは、古代から一部において行われていたが、19世紀末から20世紀にかけて様々な薬物が開発され、近代スポーツの世界にも蔓延(まんえん)するようになった。これに対して、1928年に国際陸上競技連盟が興奮剤使用を禁止し、他の競技団体も薬物使用を禁止するようになった。しかし、当時はドーピング検査は行われず実効性に乏しいものだった。オリンピックでは、ローマ大会(60年)で自転車競技選手が興奮剤の過剰摂取によりレース中に心臓麻痺(まひ)で昏倒(こんとう)、死亡するという事故が起きて、ドーピング根絶への機運が広がった。ドーピング検査については、秘かにこれを実施しようとする国際管轄団体に、競技選手がボイコットにより対立するなどの軋轢(あつれき)もあったが、ドーピング禍の深刻さに対する認識が深まった。こうして、国際大会では66年、オリンピックではメキシコシティー大会(68年)から公式に検査が導入された。このような取り組みが進む一方で、ドーピングの手法は巧妙化し、検出しにくい薬剤や手法が使われたり、使用の痕跡を隠す利尿剤などが使われたりするようになる。功名にはやる選手の個人的な使用だけにとどまらず、国家ぐるみでドーピングが行われることもあった。現在もなお、ドーピングでメダルを剥奪(はくだつ)されたり資格停止となったりする事件が後を絶たず、オリンピック、パラリンピックでも、2016年リオデジャネイロ大会では多数のロシア選手が出場禁止となった。
WADAは、薬物使用はスポーツの価値を損ね、公平に競い合う精神に反し、選手の健康を害すると共に、青少年の薬物使用など社会に悪影響を及ぼす重大な問題であることから、反ドーピング活動を世界規模で進めるために設立された機関である。WADAは、03年に採択されたドーピング取り締まりの国際基準「世界アンチ・ドーピング規程(The World Anti-Doping Code)」に始まり、時代の変化を反映して新たな規程を策定してきた。また、使用禁止薬物のリストを毎年作成、改訂している。各国のスポーツ団体はこの規程を承認し、統一した基準で反ドーピングの取り組みを進めている。日本もWADA設立以来、文部科学副大臣が常任理事に就任するなど活動に貢献している。また、01年には日本国内の反ドーピング活動のマネージメントを行う機関として、日本オリンピック委員会(JOC)や日本体育協会などが加盟する公益財団法人日本アンチ・ドーピング機構(JADA)が設立された。なお、実際のドーピング検査については、WADAが公認した世界約30の臨床検査機関などが、様々な大会や競技の検査について委託を受け、検体の分析を実施する。日本でも1985年の神戸ユニバーシアード競技大会を機にアジア初のIOC認定ドーピング機関が設置され、現在はWADA認定分析機関として引き継がれている。日本には反ドーピングの法制度はないが、2011年施行のスポーツ基本法において、国はJADAと連携してアンチ・ドーピング活動を推進すると明記されており、今後の法整備を視野に入れた政府のタスクフォース(作業チーム)が16年1月に発足して、検討が進められている。
(金谷俊秀 ライター/2016年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報