コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

中山信名 なかやま のぶな

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

中山信名 なかやま-のぶな

1787-1836 江戸時代後期の国学者。
天明7年生まれ。常陸(ひたち)(茨城県)の人。塙保己一(はなわ-ほきいち)にまなび,「群書類従」の編集,校訂にあたる。和学講談所の教授もつとめた。「常陸国誌」「常陸治乱記」など郷土関係の研究もおおい。天保(てんぽう)7年11月10日死去。50歳。本姓は坂本。通称は平四郎,勘四郎。号は柳洲。
【格言など】酒も飲み浮かれ女もみつ文もみつ家もおこしつ世に恨みなし(辞世)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

中山信名

没年:天保7.11.10(1836.12.17)
生年:天明7(1787)
江戸後期の国学者。通称平四郎,のち勘四郎。柳洲と号す。常陸国(茨城県)久慈郡石名坂村の医師坂本玄朴の子。幼いころ,神童の誉れ高く,『太平記』を暗誦し太平記童といわれていた。水戸藩士石川久徴に地理学を学ぶ。16歳で江戸に出て塙保己一に学び,23歳,幕臣中山平蔵(有林)の養子となり,書物御用出役から同出役頭取に進んだ。鹿島・香取神宮の古文書収集に尽くし,和学講談所の教授となり,『群書類従』の編纂校訂を行った。郷土関係の資料発掘に努め,『新編常陸国誌』など多くの著作を残した。辞世の歌として「酒も飲み浮かれ女も見つ文もみつ家も興して世にうらみなし」が残っている。<参考文献>大手敏子「中山信名」(『文学遺跡巡礼 国学篇3』)

(飯倉洋一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

なかやまのぶな【中山信名】

1787‐1836(天明7‐天保7)
江戸後期の和学者。常陸国久慈郡の坂本玄卜の子。通称は平四郎,勘四郎。柳洲と号する。16歳で江戸に出て塙保己一に学び,23歳のとき幕臣中山有林の養子となり,書物御用出役(70俵五人扶持)として鹿島,香取の両神宮の古文書調査に従う。32歳で和学講談所出役頭取となった。保己一とともに《群書類従》の校訂編纂,和学講談所経営に尽力し,西の旧祠古寺に蔵する稀書の発見に功があった。性格は磊落(らいらく)で酒を好み,貧を貧とせず著述に没頭したという。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

中山信名
なかやまのぶな
(1787―1836)

江戸後期の国学者。常陸(ひたち)国久慈(くじ)郡石名坂(いしなざか)村(茨城県日立市)の医者坂本玄卜(げんぼく)の子。通称平四郎、のち甚四郎、号柳洲(りゅうしゅう)。1802年(享和2)16歳のとき江戸に出て、塙保己一(はなわほきいち)の門に入り『群書類従』編纂(へんさん)の校訂に力を尽くした。23歳のとき旗本中山有林(ゆうりん)の養子となり、書物御用出役(かきものごようでやく)から出役頭取(とうどり)に進む。保己一が和学講談所教授になったことにより、広く彼の名が世に出る。著書に『南巡逸史』『南山考』『氏族志料』『守護地頭(しゅごじとう)考』『常陸治乱記』『常陸編年』『新編常陸国誌』など歴史・地誌類を中心に多数あるが、『新編常陸国誌』は信名在世中完成せず、色川三中(いろかわみなか)、栗田寛(くりたかん)の修訂・増補を得て、約100年後に集大成された。[佐久間好雄]
『『新編常陸国誌』(1969・宮崎報恩会/復刻版・1982・常陸書房)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

中山信名の関連キーワード武家名目抄色川三中

今日のキーワード

テロ支援国家

国際的なテロリズム組織を資金や物資などの面から援助している国家。[補説]特に、米国国務省が作成する報告書で指定を受けた、イラン・スーダン・シリアの3か国のこと。北朝鮮は1988年1月に指定、2008年...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android