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中山文七(2代) なかやま ぶんしち

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

中山文七(2代) なかやま-ぶんしち

1755-1798 江戸時代中期-後期の歌舞伎役者。
宝暦5年生まれ。沢村太吉の門から初代嵐雛助に入門。初代中山来助(らいすけ)の養子となり,天明2年2代中山来助を,寛政5年2代文七を襲名。俏方(やつしがた)の名手として評判をえた。寛政10年2月19日死去。44歳。京都出身。初名は沢村伊八。前名は嵐猪八。俳名は至生,舎柳,由男。屋号は三扇屋,鬢付屋(びんつけや)。

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朝日日本歴史人物事典の解説

中山文七(2代)

没年:寛政10.2.19(1798.4.4)
生年:宝暦5(1755)
江戸中期の歌舞伎役者。俳名由男。屋号和泉屋。並木正三の甥という。初名伊八で子供芝居修業。23歳の冬上京し嵐猪八の名で大歌舞伎に出,2代目中山新九郎の養子となる。2代目来助を経て,寛政5(1793)年,39歳で2代目文七を襲名した。小柄ながら美貌,初代小川吉太郎風の和事で女性に人気があった。持ち味にピンとした強みがあり,世人は彼の演じる和事を「ピントコナ」と呼んだ。「鐘鳴今朝噂」(「いろは新助」)の新助,「伊勢音頭恋寝刃」の貢,今に残る「宿無団七時雨傘」の茂兵衛等の初演者。「心中重井筒」の徳兵衛の羽織落としの人気は語り草となった。晩年油店を開いたので「鬢付屋」の異名がある。なお文七の名跡は幕末まで5代を数えた。

(青木繁)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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