日本大百科全書(ニッポニカ) 「中里太郎右衛門」の意味・わかりやすい解説
中里太郎右衛門
なかざとたろうえもん
唐津(からつ)焼の陶工の家系名。江戸初期に作陶を始めた中里又七を祖とし、唐津焼御茶碗窯(おちゃわんがま)を継承する中里家は、歴代作陶に従事した家系で、現在14代目を数える。うち、12代太郎右衛門(1895―1985)は11代天祐(てんゆう)(1854―1924)の次男として唐津に生まれ、幼名は重雄(しげお)。1927年(昭和2)に12代を襲名。歴代のなかでとくに桃山時代の古唐津の復興に力を尽くし、雅陶唐津焼をよみがえらせ、また叩(たた)き技法による独自の唐津焼を生み出した。1976年(昭和51)重要無形文化財保持者に認定。晩年は得度して無庵(むあん)を号し、長男に13代を譲り作陶に専心した。13代太郎右衛門(1923―2009)は本名忠夫(ただお)。父の後を継いで古唐津陶技の復原に携わるなかで、土器、炻器(せっき)、磁器の制作も手がけ、1969年に13代を襲名。2002年(平成14)京都市の大徳寺で得度し逢庵(ほうあん)を号し、同年長男に名跡を譲った。2007年日本芸術院会員。14代太郎右衛門(1957― )は本名忠寛(ただひろ)。2002年3月に14代を襲名した。
[矢部良明]
『『十二代中里太郎右衛門唐津作品集』(1975・講談社)』▽『林屋晴三編『現代日本陶芸全集 8 中里無庵他』(1982・集英社)』▽『『十三代中里太郎右衛門』(1985・講談社)』▽『富岡行昌・鈴木健二著『人間国宝中里無庵 炎の生涯』(1986・佐賀新聞社)』▽『中里逢庵著『唐津焼の研究』(2004・河出書房新社)』