丹下城跡(読み)たんげじようあと

日本歴史地名大系 「丹下城跡」の解説

丹下城跡
たんげじようあと

[現在地名]羽曳野市南恵我之荘七丁目、松原市西大塚一丁目

東除ひがしよけ川の左岸に位置し、北の長尾街道と南の竹内たけのうち街道に挟まれ、この両道を押える軍事的要衝。現松原市域にまたがる大塚山おおつかやま古墳を利用したもので、前方部には「古屋敷」の小字名が残る。近江源氏の一族で当地に土着した国人丹下氏築城と伝える。鎌倉時代の河内守護所丹南たんなん(現松原市)に近接し、早くから南河内要害の一つであった。


丹下城跡
たんげじようあと

[現在地名]上下町上下

おきな山南方にある擂鉢を伏せた形状の、一名カガツ山にあり、二間幅の古道と古井が残る。正和年中(一三一二―一七)上下の地頭職を得たと伝える斎藤美作守景宗の居城で、西北麓に景宗の創建と伝える善昌ぜんしよう寺がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

大寒の用語解説を読む