明治・大正期のジャーナリスト。本名は息忠(やすただ)。暮村隠士,鶏学人の号をもつ。幕臣の子として江戸に生まれる。独学で1879年に代言人開業試験に合格したが,《東京曙新聞》に入り新聞記者となる。このころからドイツ哲学とくにニーチェに関心をもち,思想,教育論を紹介する。97年《万朝報》に入り,幸徳秋水,堺利彦らと知る。その後《長野日日新聞》(当時《信濃毎日新聞》には山路愛山が,《長野新聞》には茅原華山がいた)から《函館毎日新聞》《長崎新報》などを経て,1909年《東京毎日新聞》主筆となるが,短期間で辞し,以後,評論生活を送る。また平民社を支持してその機関紙にも寄稿した。社会主義,無政府主義に理解をもつ自由主義思想家で,自らはニーチェ主義者を任じていた。著書には《教育刷新策》(1897),《無政府主義》(1906),《人生の妙味》(1911)の発禁本を含めて多数ある。
執筆者:高峰 慧
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
(井川充雄)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
…この後に直接的テロ行動と,アナルコ・サンディカリスム運動との一時期が続くが,19世紀末におけるアナーキズム理論の集大成者はクロポトキンであり,彼は〈無政府共産制〉という標語で平等思想を徹底させ,明治・大正期の日本にも影響を与えた。 日本では明治30年代末に煙山専太郎や久津見蕨村によって無政府主義の紹介がなされているが,社会運動の中でそれを推進したのは,クロポトキンとも文通して1908年に《麵麭(パン)の略取》を翻訳公刊した幸徳秋水や大杉栄らである。このグループは1907年以来〈直接行動派〉と呼ばれるが,20年代初頭のアナ・ボル論争を経て勢力は衰退し,大正末から昭和初めにかけては無産運動の周辺部にとどまった。…
※「久津見蕨村」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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