デジタル大辞泉
「久津見蕨村」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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久津見蕨村 (くつみけっそん)
生没年:1860-1925(万延1-大正14)
明治・大正期のジャーナリスト。本名は息忠(やすただ)。暮村隠士,
鶏学人の号をもつ。幕臣の子として江戸に生まれる。独学で1879年に代言人開業試験に合格したが,《東京曙新聞》に入り新聞記者となる。このころからドイツ哲学とくにニーチェに関心をもち,思想,教育論を紹介する。97年《万朝報》に入り,幸徳秋水,堺利彦らと知る。その後《長野日日新聞》(当時《信濃毎日新聞》には山路愛山が,《長野新聞》には茅原華山がいた)から《函館毎日新聞》《長崎新報》などを経て,1909年《東京毎日新聞》主筆となるが,短期間で辞し,以後,評論生活を送る。また平民社を支持してその機関紙にも寄稿した。社会主義,無政府主義に理解をもつ自由主義思想家で,自らはニーチェ主義者を任じていた。著書には《教育刷新策》(1897),《無政府主義》(1906),《人生の妙味》(1911)の発禁本を含めて多数ある。
執筆者:高峰 慧
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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久津見 蕨村
クツミ ケッソン
明治・大正期のジャーナリスト,評論家 「東京毎日新聞」主筆。
- 生年
- 安政7年1月14日(1860年)
- 没年
- 大正14(1925)年8月7日
- 出生地
- 江戸
- 本名
- 久津見 息忠(クツミ ヤスタダ)
- 別名
- 別号=暮村隠士など
- 経歴
- 独学で代言人(弁護士)試験に合格の後、明治15年「東洋新報」を振り出しに記者生活に入り、30年「万朝報」に入社して活躍する。30年「教育刷新策」を、31年「教育時代観」を刊行。早くからヨーロッパのアナキズムを日本に紹介し、自由思想家として教育・宗教・社会問題からドイツ哲学まで幅広い論陣を張った。のちに「長野日日新聞」「函館毎日新聞」「長野新報」「東京毎日新聞」の主筆などを務めた。他の著書に「無政府主義」(発売禁止)、「自由思想」「久津見蕨村集」など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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久津見蕨村
没年:大正14.8.7(1925)
生年:万延1.1.14(1860.2.5)
明治時代のジャーナリスト,思想家。本名は息忠。江戸生まれ。父は幕府の騎兵指図役の又助。母は愛子。明治維新の混乱で正規の教育は受けられず,父に弓馬を,母に漢籍を,米人宣教師に英語を学んだほか,法律・哲学を自修した。明治12(1879)年,代言人(弁護士)開業試験に合格。15年『東洋新報』の論説,翻訳記者となる。30年『万朝報』に移り,その後『長野日日新聞』『函館毎日新聞』『長野新報』『東京毎日新聞』の主筆などを務めた。また,ニーチェなどの哲学にも明るく,自由思想家・合理論者として知られた。39年発行の著書『無政府主義』等は発売禁止となった。<著作>『久津見蕨村集』
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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久津見蕨村 くつみ-けっそん
1860-1925 明治-大正時代のジャーナリスト。
安政7年1月14日生まれ。「東洋新報」から明治30年「万(よろず)朝報」にうつり,以後「長野日日新聞」「長崎新報」などの主筆をつとめる。自由主義思想家として知られ,ニーチェ,カントらの哲学を紹介し,教育・宗教・社会問題を幅ひろく論じた。大正14年8月7日死去。66歳。江戸出身。名は息忠(やすただ)。著作に「無政府主義」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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久津見 蕨村 (くつみ けっそん)
生年月日:1860年1月14日
明治時代;大正時代のジャーナリスト
1925年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の久津見蕨村の言及
【アナーキズム】より
…この後に直接的テロ行動と,アナルコ・サンディカリスム運動との一時期が続くが,19世紀末におけるアナーキズム理論の集大成者は[クロポトキン]であり,彼は〈無政府共産制〉という標語で平等思想を徹底させ,明治・大正期の日本にも影響を与えた。 日本では明治30年代末に煙山専太郎や久津見蕨村によって無政府主義の紹介がなされているが,社会運動の中でそれを推進したのは,クロポトキンとも文通して1908年に《麵麭(パン)の略取》を翻訳公刊した幸徳秋水や大杉栄らである。このグループは1907年以来〈直接行動派〉と呼ばれるが,20年代初頭の[アナ・ボル論争]を経て勢力は衰退し,大正末から昭和初めにかけては無産運動の周辺部にとどまった。…
※「久津見蕨村」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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