秦漢で政務を総掌するものを丞相(じょうしょう),庶務を分担するものを九卿(きゅうけい)といい,その官庁を北斉頃より九寺と称した。しかし後漢以後は尚書が実権を持ち,その部局が庶務を分担するようになったため,これが隋唐の尚書省六部(りくぶ)となり,九寺は有名無実となった。漢の九卿は太常(たいじょう),光禄勲(こうろくくん),衛尉,太僕(たいぼく),廷尉(ていい),大鴻臚(だいこうろ),宗正(そうせい),大司農,少府であり,隋唐の九寺は太常,光禄,衛尉,宗正,太僕,大理,鴻臚,司農,太府の諸寺である。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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[郡国制と中央集権体制の確立]
劉邦(高祖)は前202年に皇帝の位につくと,秦の統治方式を踏襲して中央集権的な官僚制と郡県制を施行した。すなわち皇帝の下に行政・軍事・監察の最高責任者として丞相・太尉・御史大夫のいわゆる三公をおき,政務分担機関として太常(儀礼祭祀),光禄勲(宮殿警備),衛尉(宮門警備),太僕(車馬),廷尉(司法),大鴻臚(外交),宗正(宗室),大司農(国家財政),少府(帝室財政)の九卿(きゆうけい)(九寺)をおいて中央政府を構成した。いっぽう地方は大きく郡に分けられ,郡の下には県がおかれた。…
…つまり中央政府は内閣・六部というのが根幹の体制であるが,しかし清朝になると軍機密保持の便宜上,天子の側近にさらに軍機処(参謀本部)が設けられ,これがいつしか恒常的な政務機構となって,内閣の取り扱うべき政務を軍機処が扱うようになり,内閣は有名無実のごとくなったが,旧中国の特徴として,いったん存在しはじめた内閣を廃止してしまうことはしない。このような,誰が考えても任務や権限が重複し,実質的に無用に帰した官庁を廃止しようとせず,いつまでも存しておくのは,例えば2000年前,漢代の九寺という行政最高官庁(法務庁たる大理寺,対属国外務庁たる鴻臚(こうろ)寺など)が六部その他と重複するにもかかわらず,重複したままで,ごく一部分でも職務を分け与えて,歴代綿々として存続せしめられたごとき,今日の常識からは到底理解できない。その繁雑さには中国史の専門家でも音をあげてしまう。…
※「九寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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