日本大百科全書(ニッポニカ) 「二・七事件」の意味・わかりやすい解説
二・七事件
にしちじけん
1923年2月7日、中国の直隷(ちょくれい)派軍閥呉佩孚(ごはいふ)が京漢鉄道(北京(ペキン)―漢口間)ストライキを武力弾圧して多数の労働者を虐殺した事件。京漢鉄道総工会(労働組合)が23年2月1日鄭州(ていしゅう)で結成大会を開くことになった。呉佩孚は労働者の力が強くなることを恐れ、イギリスの支持の下、大会禁止令を出し、当日戒厳令を敷き、開催を阻止しようとしたが、大会は開催された。呉はその報復として、軍隊に会場を占拠破壊させ、出席者を監禁させた。総工会はこれに抗議し、責任者の罷免、損害の賠償、労働条件の改善など5項目の要求を掲げ、4日正午より全線ストライキに入った。呉は軍隊を出動させ、復業を迫り、武力弾圧を行い、各地で労働者と衝突した。とくに江岸では軍隊が労働者を襲い、多数の者が虐殺されたり負傷した。9日スト中止指令が総工会から出され、ストは終結した。全線での死者の総計は四十数人、負傷者は数百人、逮捕者は四十数人、解雇者1500人を出し、組合組織は壊滅した。
この事件は、中国の労働者に、労働条件改善のような日常的要求さえも、帝国主義、軍閥との戦いを避けては実現されないことを示した点で重要である。
[阿川修三]
『鈴江言一著『中国解放闘争史』(1967・石崎書店)』