出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
歌舞伎(かぶき)舞踊。長唄(ながうた)。本名題(なだい)『其面影(そのおもかげ)二人椀久』。作詞者不詳。初世錦屋(にしきや)金蔵作曲。1774年(安永3)5月、江戸・市村座で8世市村羽左衛門(うざえもん)の追善演目として、9世羽左衛門の椀久、瀬川富三郎(3世菊之丞(きくのじょう))の松山(まつやま)で初演。大坂の豪商椀屋久兵衛の逸話に取材。傾城(けいせい)松山との仲を裂かれ、心狂った椀久が放浪のうちに松山の幻と出会い、昔の廓話(くるわばなし)をするという内容。題名は、旧来の振付けに松山が椀久の羽織を着て踊るところがあったのに由来するが、近年は新しい振付けが多く行われ、たいてい椀久が松山の裲襠(うちかけ)を着て踊るようになっている。
[松井俊諭]
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…この期の唄方には初世富士田吉次のほか,のちに遊里に進出して荻江風(おぎえふう)長唄(のちの荻江節)を創始した初世荻江露友,そのほか初世坂田仙四郎,初世湖出市十郎,三味線方に錦屋総治,西川億蔵,初世杵屋作十郎,2世杵屋六三郎,囃子方に宇野長七,3世田中伝左衛門などがいる。 安永・寛政期(1772‐1801)は長唄が上方依存から江戸趣味へと転向し,内容本位の唄浄瑠璃風の長唄から拍子本位の舞踊曲へと移行する,いわば過渡期であり,《二人椀久(ににんわんきゆう)》《蜘蛛拍子舞(くものひようしまい)》がその代表曲であった。また,1792年(寛政4)には舞台に演奏者が並ぶための雛壇が採用されて,歌舞伎舞踊の舞台をより豪華なものとした。…
…椀久が狂乱し松山の幻を追うさまは舞踊に適していたため,戯曲としてよりは所作事として脚色されることが多くなった。現存するものでは,一中節の《椀久道行》(《椀久末松山》の道行),長唄の《二人(ににん)椀久》《一人椀久》,常磐津の《三面(みつめん)椀久》《新曲椀久》,清元の《幻(まぼろし)椀久》などがある。明治以後の脚本では,初世市川右団次が演じた《盟約誓十徳(にせかけてちかいのじつとく)》,初世中村鴈治郎の《椀久末松山》(渡辺霞亭作),6世尾上菊五郎の《椀久末松山》(岡村柿紅作),7世沢村宗十郎の《椀久》(田村西男作),12世片岡仁左衛門の《椀屋久兵衛》(真山青果作)などがおもな作品である。…
※「二人椀久」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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