日本歴史地名大系 「二俣城跡」の解説
二俣城跡
ふたまたじようあと
中世の二俣郷にあった城。直線距離二キロのうちに北から
明応―永正年間(一四九二―一五二一)遠江守護斯波氏と駿河守護今川氏が遠江国をめぐって争ったが、文亀元年(一五〇一)八月には斯波義雄の要請を受け信濃の小笠原貞朝が二俣の城に在陣しており(八月一二日「斯波義雄書状」勝山小笠原文書)、義雄はさらに大谷盛勝を使者として派遣し小笠原定基にも遠江国への出陣を要請している(七月六日「斯波義雄書状」同文書)。しかし永正元年頃までには
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報