二日市場村(読み)ふつかいちばむら

日本歴史地名大系 「二日市場村」の解説

二日市場村
ふつかいちばむら

[現在地名]甲府大里町おおさとちよう

関口せきぐち村北東の家続きにある。東をあら川が南へ流れ、地内で四歩しぶ川が合流する。南に位置する中条なかじよう村とはもと一村であったともいう。何度かの荒川の流路変更があったため、村の東境は川を越えた東岸にあった。荒川には渡場があり、対岸の山梨郡中小河原なかこがわら村へは四、五町の距離にあった。冬・春は仮橋が架された(甲斐国志)西方円満寺えんまんじ村方面から村を東西に貫き荒川を渡る道と、北の後屋うしろや村方面から南下する道が村の西部で交差し、ここを中心に集落が形成された。村名は寛永一四年(一六三七)まで定期市が開かれていたことによるとされる(同書)。慶長六年(一六〇一)検地帳(県立図書館蔵)にみえる下木戸の場所が市場の入口だったと伝える。中世には当地を通っていたとみられる駿河から甲府へ向かう往還沿いの市場として栄えたと考えられるが、西方の古市場ふるいちばとの関係など詳細ははっきりしない。永禄四年(一五六一)の番帳に「二日市はのねき」がみえ、府中八幡宮への勤番を命じられている。


二日市場村
ふつかいちばむら

[現在地名]市原市二日市場・光風台こうふうだい

山田やまだ村の南、養老ようろう川左岸に位置する。本郷ほんごうに七世紀末とされる二日市場廃寺があり、三種類の鐙瓦が出土している。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に村名がみえ、高一五七石。正保国絵図では二日市とする。寛文四年(一六六四)当時は甲斐徳実藩領(「伊丹勝政領知目録」寛文朱印留)元禄郷帳では高二九五石余で、幕末まで同様。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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