二番目狂言の略。町人百姓など庶民社会を描いた狂言をいう。世話物とも。江戸の芝居は元禄(1688-1704)ごろから1日に狂言は一つ,題名も一つというしきたりがあった。二番目ということばは,最初は四番続きの狂言の第2番目の場というものだったが,享保(1716-36)以後は武士の世界を扱った狂言の中で,町人の世界を描いた世話物という意味がしだいに濃くなってきた。そして天明期(1781-89)に桜田治助が一番目(時代物)と二番目(世話物)とを実質的に独立させる試みをしたが,やがて寛政期(1789-1801)に並木五瓶が1日の狂言をはっきり二つに分け,二番目にも独立した題名をつけることを始めた。以来世話狂言として充実した内容を持ちはじめた。文化期(1804-18)の鶴屋南北は狂言の中心をむしろ二番目におくようになったが,さらに安政期(1854-60)以後の河竹黙阿弥は二番目を非常に重視し,ときには生世話(きぜわ)物とよばれる二番目風の作を1日の通し狂言とすることも多かった。
執筆者:山本 二郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…武士や公卿等の世界を題材とした時代物の狂言のことをいう。江戸では1日の狂言は一つ,題名も一つというのがきまりで,特に元禄期(1688‐1704)は全編を4場に分け,一番目,二番目,三番目,四番目としたが,全体としてまとまった筋になっていた。享保(1716‐36)以後は1日の狂言を二つに分け,一番目に武士社会を扱ったものを3,4幕,二番目に町人社会を描いたものを1,2幕演じた。…
…歌舞伎の興行における一日の狂言の並べ方。元禄期(1688‐1704)から寛政(1789‐1801)初年までの,江戸の劇場では,まず儀式的な番立(ばんだち)(三番叟),脇狂言(各座の家の狂言)に続いて,一つの世界に統一された一番目狂言と二番目狂言が続けて上演される。一番目狂言(時代物)は序開(じよびらき),二建目(ふたたてめ),三建目(通説では今日の一番目の序幕にあたるとされているが,絵本番付では二建目から描かれている),四建目,五建目,大詰と上演される。…
…いま一つは《雁金五人男》《双蝶々》《夏祭》など,相撲取や俠客の義理人情を扱う作品である。当代の世話物をそのまま上演することは禁じられていたので,江戸では一日の狂言の中に一番目の時代事と関連づけて,二番目に世話事を演じる形式を採っていた(後世,世話物をさして二番目または二番目物と称するのはこれに基づいている)。1794年(寛政6)に江戸下りした並木五瓶が,《五大力恋緘》で一番目と二番目とを名題も内容も切り離し,96年の《隅田春妓女容性(すだのはるげいしやかたぎ)》で初めて番付面に〈二番目〉と明記して以後,江戸で独立した世話物も作られるようになった。…
※「二番目」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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