新派戯曲。瀬戸英一作。1931年(昭和6)11月東京・明治座初演。芸者の喜代次は生糸商阿久津に引かされたが、不況で阿久津が破産すると、冷たい本妻への意地ずくからふたたび左づまをとり阿久津を養う。朋輩(ほうばい)のおすがは阿久津のために別れろと意見をする。当時松竹社長だった大谷竹次郎のたてた案を、座付作者の瀬戸英一が伊井容峰(ようほう)(阿久津)、喜多村緑郎(きたむらろくろう)(喜代次)、河合武雄(かわいたけお)(おすが)、花柳(はなやぎ)章太郎(桂子)らにあてて書き下ろし、俳優も各自長所を発揮した結果、凋落(ちょうらく)のどん底にあった新派は勢いを盛り返した。翌32年12月の『二筋道其後(そのご)』まで計八編書き継がれ、同年3月には花柳扮(ふん)する快活な芸者を中心にした『桂子の場合』が独立して上演されるほどの人気であった。
[土岐迪子]
…劇評家としては長年歌舞伎劇評の範を示し,辛辣な批評は役者から恐れられていた。作家としては《小猿七之助》《今様薩摩歌》以下,巧緻な世話狂言で知られ,《二筋道》などの花柳小説も注目される。《鬼太郎脚本集》2巻,《鬼言冗語》ほか,作品集,劇評集が多い。…
…なお,24年にもともと新劇から出発した水谷八重子を中心にした第2次芸術座ができて,27年に本郷座で藤森成吉《何が彼女をさうさせたか》を上演,以降松竹と提携して,いわゆる〈新派〉の一角に加わってきた。 低調だった〈新派〉が活気を得たのは,31年11月明治座上演の瀬戸英一《二筋道》であった。これが大当りして続編,続々編,外編と重ねて上演されることとなったが,この芝居によって〈新派〉は〈花柳界の男女を写実的に表現する演劇〉という定評をつくったともいえる。…
※「二筋道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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