興行師、松竹株式会社創業者。芝居の仲売り(売店)の子として京都に生まれる。双生児の兄が白井松次郎(1877―1951)。24歳で京都阪井座の座主となり劇場経営に乗り出し、1902年(明治35)養子にいった兄松次郎と松竹合名社を結成。2年後に京都南座の座主となり、京都劇壇の主導権を握った。同年松次郎は初代中村鴈治郎(がんじろう)と提携、大阪へ進出、大阪歌舞伎(かぶき)、文楽を一手に収めた。竹次郎は関西を兄にゆだね、1910年に東京へ進出、新富(しんとみ)座を買収、12年(大正1)2世市川左団次を専属俳優とし、翌年に歌舞伎座の経営権を手に入れた。1930年(昭和5)までに東京の大劇場、大歌舞伎、新派を次々と傘下に収め、演劇興行界の雄となった。一方、1920年に松竹キネマ合名社を設立、映画製作にも乗り出し、今日の松竹株式会社を築き上げた。とくに歌舞伎の伝承に尽くした功績は大きい。1955年(昭和30)文化勲章受章、58年に松竹大谷図書館を開設した。
[水落 潔]
『城戸四郎編、脇屋光伸著『大谷竹次郎演劇六十年』(1951・大日本雄弁会講談社)』▽『田中純一郎著『大谷竹次郎』新版(1995・時事通信社)』
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
興行師,実業家。京都生れ。白井松次郎とは双生児でその弟。四条花見小路祇園館の売店を営む両親を手伝い,20歳で興行界に乗り出し,新京極坂井座の金主,25歳で兄松次郎と松竹合名社を創立,関西を兄に託して単身上京し,新富座,本郷座などを傘下におさめ,興行師の地歩を揺るぎないものとした。1914年には東京・歌舞伎座でも興行をし,演劇界の実力者として活躍した。また20年には松竹キネマ合名社をおこし映画界をも席巻した。37年に演劇,映画を統合,松竹株式会社として社長に就任。54年松竹会長となり,興行界に君臨し,水ものとされた興行を実業にまで引き上げた。〈舞台にはできるだけの金をかける,それだけのことは観客がどこかで見てくれる〉というのが興行哲学であり信念だった。55年文化勲章を受け,その年金で松竹大谷図書館を創立した。
執筆者:野口 達二
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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…演劇・映画・演芸の製作,興行を主とした興行資本。1902年白井松次郎,大谷竹次郎の双生児の兄弟が,名まえの頭文字を組み合わせて創立した松竹(まつたけ)合名社が成長したもの。京都の劇場の中売りから身をおこし,創立の年に阪井座を経営,新派俳優静間小次郎と提携,京都・明治座に進出,06年には初世中村鴈治郎と提携して大阪へ進出,同時に京都・南座を直営して,まず京都を中心に礎を固めた。…
…京都生れ。大谷竹次郎とは双生児で,その兄。1897年京都夷谷座(えびすざ)売店主白井亀吉の養子となる。…
※「大谷竹次郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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