大谷竹次郎(読み)オオタニタケジロウ

デジタル大辞泉 「大谷竹次郎」の意味・読み・例文・類語

おおたに‐たけじろう〔おほたにたけジラウ〕【大谷竹次郎】

[1877~1969]興行師。松竹の創立者。京都の生まれ。兄の白井松次郎とともに松竹を興し、歌舞伎新派・映画などを支配下に置き、興行界の中軸として活躍。文化勲章受章

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精選版 日本国語大辞典 「大谷竹次郎」の意味・読み・例文・類語

おおたに‐たけじろう【大谷竹次郎】

  1. 実業家。京都出身。松竹株式会社会長。歌舞伎、文楽の保護に尽くし、文化勲章受章。明治一〇~昭和四四年(一八七七‐一九六九

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大谷竹次郎」の意味・わかりやすい解説

大谷竹次郎
おおたにたけじろう
(1877―1969)

興行師、松竹株式会社創業者。芝居の仲売り(売店)の子として京都に生まれる。双生児の兄が白井松次郎(1877―1951)。24歳で京都阪井座の座主となり劇場経営に乗り出し、1902年(明治35)養子にいった兄松次郎と松竹合名社を結成。2年後に京都南座の座主となり、京都劇壇の主導権を握った。同年松次郎は初代中村鴈治郎(がんじろう)と提携、大阪へ進出、大阪歌舞伎(かぶき)、文楽を一手に収めた。竹次郎は関西を兄にゆだね、1910年に東京へ進出、新富(しんとみ)座を買収、12年(大正1)2世市川左団次を専属俳優とし、翌年に歌舞伎座の経営権を手に入れた。1930年(昭和5)までに東京の大劇場、大歌舞伎、新派を次々と傘下に収め、演劇興行界の雄となった。一方、1920年に松竹キネマ合名社設立、映画製作にも乗り出し、今日の松竹株式会社を築き上げた。とくに歌舞伎の伝承に尽くした功績は大きい。1955年(昭和30)文化勲章受章、58年に松竹大谷図書館を開設した。

水落 潔]

『城戸四郎編、脇屋光伸著『大谷竹次郎演劇六十年』(1951・大日本雄弁会講談社)』『田中純一郎著『大谷竹次郎』新版(1995・時事通信社)』

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20世紀日本人名事典 「大谷竹次郎」の解説

大谷 竹次郎
オオタニ タケジロウ

明治〜昭和期の実業家,演劇興行主 松竹創立者。



生年
明治10(1877)年12月13日

没年
昭和44(1969)年12月27日

出生地
京都府京都市三条

主な受賞名〔年〕
文化勲章〔昭和30年〕

経歴
20歳の時、父の代理で新京極・阪井座の金主を務め、明治33年常盤座と大黒座を直営、阪井座を買収、歌舞伎座と改め座主となった。35年双子の兄白井松次郎と共に、新京極に明治座開場、2人の名を一字ずつ取って松竹合名社を興した。その後、初代中村鴈治郎と提携し大阪、東京へ進出、本郷座、東京歌舞伎座などを買収、大正9年松竹キネマを設立、映画製作にも進出。昭和12年松竹キネマと松竹興行を合併、松竹株式会社を設立、社長となった。29年会長、37年再び社長となり、38年会長。この間、26年に東京歌舞伎座を再建、また大谷図書館を設立した。歌舞伎、文楽、新派の伝統芸能の保護に努め、30年文化勲章を受章。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「大谷竹次郎」の意味・わかりやすい解説

大谷竹次郎 (おおたにたけじろう)
生没年:1877-1969(明治10-昭和44)

興行師,実業家。京都生れ。白井松次郎とは双生児でその弟。四条花見小路祇園館の売店を営む両親を手伝い,20歳で興行界に乗り出し,新京極坂井座の金主,25歳で兄松次郎と松竹合名社を創立,関西を兄に託して単身上京し,新富座,本郷座などを傘下におさめ,興行師の地歩を揺るぎないものとした。1914年には東京・歌舞伎座でも興行をし,演劇界の実力者として活躍した。また20年には松竹キネマ合名社をおこし映画界をも席巻した。37年に演劇,映画を統合,松竹株式会社として社長に就任。54年松竹会長となり,興行界に君臨し,水ものとされた興行を実業にまで引き上げた。〈舞台にはできるだけの金をかける,それだけのことは観客がどこかで見てくれる〉というのが興行哲学であり信念だった。55年文化勲章を受け,その年金で松竹大谷図書館を創立した。
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百科事典マイペディア 「大谷竹次郎」の意味・わかりやすい解説

大谷竹次郎【おおたにたけじろう】

興行師,実業家。京都の劇場売店主の家に生れ,大谷家を継ぐ。京都歌舞伎座を中心に京都の主要劇場を買収し,双生の兄白井松次郎〔1877-1952〕とともに1902年松竹(まつたけ)合名社を設立。大阪・東京に進出し歌舞伎興行権をほぼ独占,1920年松竹キネマ合名社を設立。1937年には演劇と映画を統合して松竹(しょうちく)株式会社を発足させ,社長となる。小林一三東宝と覇を競った。1955年文化勲章。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大谷竹次郎」の意味・わかりやすい解説

大谷竹次郎
おおたにたけじろう

[生]1877.12.13. 京都
[没]1969.12.27. 東京
興行主。松竹株式会社創立者の一人。幼少から芝居の世界に入り,1895年京都阪井座の座主となり,1902年で双生児の兄白井松次郎と松竹合名会社を設立。 1910年東京に進出,新富座,本郷座,明治座を次々に手に入れ,1914年歌舞伎座の興行権を獲得した。 1920年松竹キネマ合名会社を設立,映画制作にも乗り出し,以来,関東大震災,第2次世界大戦時の空襲と2度の打撃を切り抜け,名実ともに日本興行界のトップに君臨した。 1955年文化勲章受章。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大谷竹次郎」の解説

大谷竹次郎 おおたに-たけじろう

1877-1969 明治-昭和時代の実業家。
明治10年12月13日生まれ。父の跡をついで興行界にはいり,京都歌舞伎座を経営。明治35年兄白井松次郎と松竹合名社を設立。昭和12年松竹社長。第二次大戦後の演劇,映画の復興につくし,とくに歌舞伎,文楽,新派の伝統芸能の保護につとめた。昭和30年文化勲章。昭和44年12月27日死去。92歳。京都出身。

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367日誕生日大事典 「大谷竹次郎」の解説

大谷 竹次郎 (おおたに たけじろう)

生年月日:1877年12月13日
明治時代-昭和時代の実業家;演劇興行主。松竹社長
1969年没

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世界大百科事典(旧版)内の大谷竹次郎の言及

【松竹[株]】より

…演劇・映画・演芸の製作,興行を主とした興行資本。1902年白井松次郎大谷竹次郎の双生児の兄弟が,名まえの頭文字を組み合わせて創立した松竹(まつたけ)合名社が成長したもの。京都の劇場の中売りから身をおこし,創立の年に阪井座を経営,新派俳優静間小次郎と提携,京都・明治座に進出,06年には初世中村鴈治郎と提携して大阪へ進出,同時に京都・南座を直営して,まず京都を中心に礎を固めた。…

【白井松次郎】より

…京都生れ。大谷竹次郎とは双生児で,その兄。1897年京都夷谷座(えびすざ)売店主白井亀吉の養子となる。…

※「大谷竹次郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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