河合武雄(読み)カワイタケオ

デジタル大辞泉 「河合武雄」の意味・読み・例文・類語

かわい‐たけお〔かはひたけを〕【河合武雄】

[1877~1942]新派俳優。東京の生まれ。本名、内山武次郎。女形として活躍し、美貌とはでな芸風人気を集めた。

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精選版 日本国語大辞典 「河合武雄」の意味・読み・例文・類語

かわい‐たけお【河合武雄】

  1. 新派俳優。東京出身。本名内山武次郎。山口定雄一座に入り、女形として名声を獲得。のち伊井蓉峰(ようほう)近松研究劇を上演、松居松翁公衆劇団を興した。当たり役は「通夜物語」の丁山、「己が罪」の環(たまき)など。明治一〇~昭和一七年(一八七七‐一九四二

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「河合武雄」の解説

河合 武雄
カワイ タケオ


職業
新派俳優

本名
内山 武次郎

別名
俳名=馬十

屋号
明石屋

生年月日
明治10年 3月13日

出生地
東京・築地

経歴
東京・吉原の上聡屋呉服店に奉公したが、明治26年新派の山口定雄の門に入り、横浜蔦座の「武田利生記」で初舞台。31年水野好美奨励会から立女形に迎えられ、新派の代表的地位を占めた。34年真砂座で伊井蓉峰と組んで近松の研究公演を行い、40年頃には新派の名作「己が罪」や「通夜物語」を上演して名声が高まる。大正2年には松居松翁と公衆劇団を結成、ホフマンスタールの「エレクトラ」などを演じた。伊東青々園の「仮名屋小梅」の女主人が当たり役。緋牡丹にたとえられた名女形で、喜多村緑郎とともに戦前新派を支えた看板俳優だった。著書に「女形」がある。

没年月日
昭和17年 3月21日 (1942年)

家族
父=大谷 馬十(3代目)(歌舞伎俳優)

伝記
みごとな幕切れ 戸板 康二 著(発行元 三月書房 ’90発行)

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20世紀日本人名事典 「河合武雄」の解説

河合 武雄
カワイ タケオ

明治〜昭和期の新派俳優



生年
明治10(1877)年3月13日

没年
昭和17(1942)年3月21日

出生地
東京・築地

本名
内山 武次郎

別名
俳名=馬十

屋号
明石屋

経歴
東京・吉原の上聡屋呉服店に奉公したが、明治26年新派の山口定雄の門に入り、横浜蔦座の「武田利生記」で初舞台。31年水野好美の奨励会から立女方に迎えられ、新派の代表的地位を占めた。34年真砂座で伊井蓉峰と組んで近松の研究公演を行い、40年頃には新派の名作「己が罪」や「通夜物語」を上演して名声が高まる。大正2年には松居松翁と公衆劇団を結成、ホフマンスタールの「エレクトラ」などを演じた。伊東青々園の「仮名屋小梅」の女主人が当たり役。緋牡丹にたとえられた名女形で、喜多村緑郎とともに戦前新派を支えた看板俳優だった。著書に「女形」がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「河合武雄」の意味・わかりやすい解説

河合武雄 (かわいたけお)
生没年:1877-1942(明治10-昭和17)

新派俳優。本名内山武次郎。東京生れ。父は歌舞伎俳優5世大谷馬十(ばじゆう)。4世沢村源之助にあこがれたが,山口定雄一座に入門。1893年から明治・大正・昭和の3代にわたり約半世紀,新派の女方として代表的地位を占めた。初期に真砂座で近松作品を共演した伊井蓉峰と,女方としての好敵手喜多村緑郎とともに三頭目となった。《二筋道》がこのトリオの名舞台であった。美貌で派手な芸風は,歌舞伎に近い感覚を持っていたが,酒乱の仮名屋小梅,《無花果(いちじく)》のエミアという西洋婦人などが当り役である。1913年松居松葉と公衆劇団を作って《エレクトラ》を演じたこともある。著書に《女形》がある。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「河合武雄」の意味・わかりやすい解説

河合武雄
かわいたけお
(1877―1942)

新派俳優。本名内山武次郎。東京・築地(つきじ)に生まれる。父は歌舞伎(かぶき)俳優5世大谷馬十(ばじゅう)。1893年(明治26)俳優志望を嫌う父に隠れて山口定雄一座に入り、新派の女方(おんながた)となる。1898年に水野好美の「奨励会」の立女方(たておやま)となり、以後美貌(びぼう)、豊艶(ほうえん)、美声、はでな芸風で人気を集めた。1901年(明治34)伊井蓉峰(ようほう)と真砂(まさご)座で近松研究劇を上演、以来伊井・河合夫婦劇として『通夜(つや)物語』などで当りをとった。1913年(大正2)松居松葉(松翁)と公衆劇団を組織し、『エレクトラ』『茶を作る家』を上演して新劇運動にも意欲をみせた。大正・昭和初期には伊井、喜多村(緑郎(ろくろう))とともに三頭目時代を現出し、新派隆昌(りゅうしょう)の中心となった。当り芸に『己(おの)が罪』の環(たまき)、『仮名屋小梅』の小梅、『二筋道』のおすがなど。

[菊池 明]


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百科事典マイペディア 「河合武雄」の意味・わかりやすい解説

河合武雄【かわいたけお】

新派俳優。本名内山武次郎。東京生れ。歌舞伎俳優だった父の反対を押し切って,山口定雄〔1861-1907〕の門に入り,のち水野好美〔1863-1928〕と奨励会をおこした。伊井蓉峰と組んだ夫婦劇で立女方として活躍,1913年には松居松葉と公衆劇団を組織して新劇運動にも関心を示した。明治末〜昭和初期に伊井蓉峰・喜多村緑郎とともに新派三巨頭時代を現出し,はなやかな芸風で知られ新派女方の道を大成した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「河合武雄」の意味・わかりやすい解説

河合武雄
かわいたけお

[生]1877.3.13. 東京
[没]1942.3.21. 静岡
新派俳優。本名内山武次郎。 1893年父の反対を押切って山口定雄一座に入り,98年水野好美の奨励会の立女方に迎えられた。 1901年以降,伊井蓉峰と組み,美しい容姿と派手な芸風で名女方の名をほしいままにした。 13年松居松翁の指導で,新劇を上演する公衆劇団を興すが,翌年解散。再び新派に戻って,伊井,喜多村緑郎とともに新派3頭目といわれた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「河合武雄」の解説

河合武雄 かわい-たけお

1877-1942 明治-昭和時代前期の新派俳優。
明治10年3月13日生まれ。5代大谷馬十の子。明治31年水野好美一座の立女方(たておやま)となる。伊井蓉峰との夫婦劇などで人気をえた。大正時代から伊井,喜多村緑郎とともに三頭目時代をつくり,新派隆盛の中心として活躍した。当たり役は「仮名屋小梅」の小梅など。昭和17年3月21日死去。66歳。東京出身。本名は内山武次郎。

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367日誕生日大事典 「河合武雄」の解説

河合 武雄 (かわい たけお)

生年月日:1877年3月13日
明治時代-昭和時代の新派俳優;女形
1942年没

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