一国が矛盾した内容の外交を展開し、関係国に疑念と不信感を抱かせること。代表的なものとしては第一次世界大戦中のイギリスの対中東外交がある。すなわち、イギリスは1915年のフサイン‐マクマホン協定でトルコ帝国内のアラブ民族主義運動を支持して戦後の独立を約束する一方、16年にはサイクス‐ピコ秘密協定によってイギリス、フランス、ロシア三国による中東の分割に合意し、17年にはバルフォア宣言でパレスチナ地方にユダヤ人国家の建設を約束するなど、矛盾した外交を行い、今日のアラブとイスラエルの対立の一因ともなった。このほか、昭和初期の日本の対中国外交のように、表向きの不拡大方針と実際の侵略主義のような場合も二重外交というべきであろう。
なお、二重外交ということばは道義的非難の意を込めて用いられるが、二重外交ほど否定的な意味をもたない類似の表現に二元外交がある。これは、一国の政府と民間組織の二つの機関が、それぞれ別個の方針と立場に基づいてニュアンスを異にする対外アプローチを示すとき用いられる。たとえば、日中国交回復(1972)以前の日本の対中国関係は、中華人民共和国不承認の消極的態度をとる日本政府に対し、経済・文化の面で積極的な交流を図ろうとした民間組織があり、対中国二元外交の状態がかなり存続した。
[藤村瞬一]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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