五条氏(読み)ごじょううじ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「五条氏」の意味・わかりやすい解説

五条氏
ごじょううじ

福岡県八女(やめ)市黒木町大渕(おおぶち)に在住する南朝廷臣の子孫名家。その先祖は清原氏。鎌倉時代の末に良枝あり、その子に宗尚(むねひさ)、頼元(よりもと)があり、宗尚は北朝に仕え、のちに家を船橋と称して今日に存続し、頼元は家を五条と称し、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)に仕え、その仰せにより、皇子の征西将軍懐良親王随従して九州に下り、同地方の南軍の中心となって筑前(ちくぜん)三奈木荘(みなきのしょう)で死んだ。頼元に3子があり、嫡子良氏は早世して子がなく、第3子良遠が家を継ぎ、その子頼治(よりはる)、孫良量(よしかず)はともに懐良親王および後征西将軍良成親王を守護して、南朝のために力を尽くした。両朝合一ののちは、菊池氏に属して八女川の上流なる南軍の根拠地矢部(やべ)に籠居(ろうきょ)し、土豪として隠然たる勢力を維持した。のちには大友氏に属し、鎮定の代、1587年(天正15)一時豊後(ぶんご)(大分県)玖珠(くす)郡に移住し、さらに肥後(熊本県)八代(やつしろ)に転住し、統康の代、家を矢部と改めたが、長安の代、1626年(寛永3)旧縁の地たる現住地に帰り、柳河(やながわ)藩主立花氏に仕え、下って頼永の代、1753年(宝暦3)姓を五条氏に復した。1897年(明治30)7月頼定は、父祖勲功により華族に列せられ、男爵を授けられた。なお頼定以来、宮内省諸陵寮守部(もりべ)として、同氏在住地の山奥なる北矢部に存する良成親王墓を守護して現今に至った。同家には頼元以来の南北朝および大友氏関係の重要古文書が多数伝存し、国の重要文化財に指定されており、それに関連する旗鎧(よろい)なども伝存する。

[村田正志]


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改訂新版 世界大百科事典 「五条氏」の意味・わかりやすい解説

五条氏 (ごじょううじ)

鎌倉末期以降栄えた九州の豪族。清原氏の支流。清原良枝の次男頼元を祖とする。頼元は,大外記,鋳銭司次官,記録所寄人,勘解由次官等を歴任。彼は,南北朝動乱期に入り,後醍醐天皇の有力ブレーンとなり,幼少の征西将軍宮懐良親王(後醍醐天皇の皇子)の九州下向に際して子息良氏,良遠とともに随従,九州最大の反幕府勢力肥後守菊池武光と組んで,征西府隆盛を迎える。頼元の死後,子孫あいついで筑後国矢部の山中(現,福岡県八女市の旧黒木町大淵)で小豪族として菊池氏に属し,南朝の再興を画策したりした。以後,同地にあって大友氏,加藤清正,柳河立花氏に仕え,明治期に男爵となる。《五条家文書》を所属している。
五条家
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